断片蒐集 52 始まりと終わりの神秘
thomas aitizer,The Genesis of God
創世記と黙示録が揃っているというのは、考えてみると不思議な宗教である。生きているあらゆる人間が物語の登場人物たり得るわけである。
マルクスとキルケゴールはヘーゲル体系の真の継承者であろう。マルクスは純粋理性を純粋に物質的な土壌の暗黒の神秘に移し換えることによってそれを転倒し、キルケゴールは純粋理性を絶対的に超越的な神という、これも暗黒の神秘に移し換えることで転倒する。彼らそれぞれのヘーゲル的思考の転倒はヘーゲル的方法と純粋否定の運動の絶対的な転倒であり、たとえそうした転倒がヘーゲル的土壌と離れては成り立たないものであり、この土壌から離れるならば消滅がまぬがれないにしても、それにもかかわらずこの転倒はその土壌を無効にするのであり、それは、彼らの転倒は我々の時代においてそれ自身の解体にまで達するからである。この経緯は、純粋な思考の終わりであるのかもしれず、もしこの終わりが黙示であるなら、それ自体、緒言の黙示が転倒を約束されていたという究極的な神秘であり、その究極的な神秘は同時に創世の究極的な神秘である。