ケネス・バーク『歴史への姿勢』 7

「受容」と「受動性」

 

 一般的な例で言おう。あらゆるシンボルの構造はなんらかの形でこうした「受容」を生みだすためにつくられていると言えないだろうか。最も些細な例を挙げると(過度の単純化によって仕掛けが感傷的なものになっているが)、ポリアンナ楽天的】的解決がある。もし足の骨を折ったら、首の骨を折らなかったことを神に感謝する。ここには、俗に傘を忘れるといつでも雨だと言われることの背後にある姿勢が見て取れる。狐が葡萄に届かないことがわかるとそれを酸っぱいことにするのと同様である。ジョークにも、危険に直面した男が危険を小さく見せるというのがある(「塹壕での士気」を保つ「塹壕のユーモア」)。デモクリトスは、小さな原子が互いに衝突したり結びついたりしてできる宇宙を想像したとき、笑ったと言われている。なぜデモクリトスは笑ったのだろうか。多分、その唯物論的な教義によって神々の「正体をすっぱ抜いた」ために笑ったのである。彼は霊的なものによる復讐の脅威が除外された世界を「受け入れた」。彼は形而上学塹壕におり、唯物論塹壕の士気を高めるユーモアだった。

 

 「受容の枠組」は受動性と同じではない。それは友好的力と非友好的力の双方を名づけ、戦いを準備する姿勢である。それは戦いの境界をつける――枠組によって戦いの境界を異なった具合に引くときにのみ「受動的」になる。例えば、アクイナスはマルクスと同じくらい現実主義的であり、社会的階級の存在を認めていた。それを勝手に廃し、ブルジョア階級を普遍的な人類として扱おうとしたのがブルジョアによる空位時代である。マルクスとアクイナスとの相違は階級の存在についてとる姿勢(行動の初期のプログラム)にある。アクイナスは、アウグスティヌスに従い、階級(それに付随する現象である政府、財産、奴隷)を人間の失墜に対する罰と見なしたので、彼の枠組は階級が避けられないことを受け入れるように働き、行動の枠組もそれに従ったものとなった。他方、マルクス階級を廃する必要を受け入れ、それゆえ戦いの境界を異なったように引いたのである。

 

 この点では、受動性に最も近いのはブルジョアの姿勢であり、しばしば感傷的であることが十分に強調されていない。その最盛期において、貴族に対して相対的な勝利を収めたブルジョア的枠組は、その問題を単に心から塗り消してしまった。個人がもっているものはだれでも等しく手に入れることができるという教義を「受け入れる」ことで、階級道徳を「拒絶した」。そしてそれから長い期間、人々の性格はその枠組によってかたどられることになった。*

 

*国家労働者の大多数が封建主義的理想との著しい類似を示すファシズムが勃興する直前まで、実体経済から金銭経済への最大限の発達はなかった。その絶頂は、資本主義の精神が金銭市場によって十分に満たされたときで、信用販売(交換の象徴的媒体)が個々人でなされることにより、農業に「金銭としての作物」という観念が生じ、実体経済の痕跡に最も固執していた集団が、生活や生産の効率のために最後になって純粋に金融的な概念を取り入れたことによる。

 

 三つの枠組は、それぞれが引く線によって「友好的なもの」と「非友好的なもの」との間に活発な関係をもつだろう。「受動的」と呼ばれるものは、通常は、行動の臨界線にあるものを意味している。