レイモンド・ウィリアムズ『マルクス主義と文学』18

4.イデオロギー

 

 「イデオロギー」という概念はマルクス主義に由来するものではなく、それだけに限定されるものでもない。だが、ほとんどすべてのマルクス主義者の文化についての考え方、特に文学と観念に関する考え方において重要な概念であるのは明らかである。難点は概念の三つの形を区別しなければならないことであり、それらはすべてマルクス主義的な著述に共通している。それらは大まかに言って、

 

 (ⅰ)ある特殊な階級あるいは集団に特徴的な信念の体系。

 (ⅱ)真の或は科学的な知識と対照される錯覚である――間違った観念或は間違った意識――信念の体系。

 (ⅲ)意味と観念の生産の一般的な過程。

 

ある種のマルクス主義では、最終的に(ⅰ)と(ⅱ)が結びつけられる。階級社会においては、あらゆる信念は階級の立場に基づいており、あらゆる階級――或は、その形成が階級社会の廃棄を組み込んでいるプロレタリアートを除くあらゆる階級に先行し、共通する――の信念の体系は部分的、或は全体的に誤っている(錯覚である)。この力強く一般的な命題に固有の問題は、マルクス主義思想のなかで激しい論争を引き起こしている。レーニンが「社会主義者イデオロギー」を特徴づけるときのように、(ⅰ)が単純な意味で使用されるのも珍しいことではない。幅広く用いられ区別される(ⅰ)と(ⅱ)のもう一つの用法は、(ⅰ)を階級社会にあるプロレタリアートを含めた、階級的立場に基づく信念の体系とし、(ⅱ)を(幅広い意味において)それとは対照的な、錯覚よりは現実に根づくあらゆる種類の〈科学的〉知識とするものである。(ⅲ)の意味はこうした連想や区別よりも価値の低いものであり、というのも、イデオロギー過程――意味と観念の生産――は一般的かつ普遍的に見られるもので、イデオロギーはこの過程そのものであるか、それを研究する領域を指すことになるからである。(ⅰ)と(ⅱ)の意味に結びついた立場がマルクス主義イデオロギー研究において生みだされるものである。

 

 こうした状況では、議論においてというのでなければ、単一の「正しい」マルクス主義によるイデオロギーの定義を確立することなどは問題になり得ない。その言葉と変奏が形づくられ問題となった時点に立ち返り指摘する方がいい。特に、まず第一に、その歴史的な発展である。問題が現在のような形を取り、この言葉とその変種があらわにしかつ隠蔽した重要な議論にまで立ち返ることができる。

 

 「イデオロギー」とは、十八世紀後半のフランスの哲学者デスタット・ド・トラシーによる造語である。「観念の科学」を指す哲学的用語として意図されたものだった。それは、ロックと経験論の伝統によって広く受け容れられていた「観念」の本性についての特殊な理解によるものであった。観念は古くからの「形而上学的」或は「観念論的」意味において理解すべきではないし、また理解できないものとされた。観念の科学は、あらゆる観念が人間の世界に関する経験から生じるものであるゆえに、自然科学でなければならなかった。特に、デスタットにおいては、イデオロギーは動物学の一部である。

 

我々はもし動物の知的能力について知らなければ、彼らについて不完全な知識しかもっていないことになる。イデオロギーは動物学の一部であり、特に人間においてこの部分が重要であり、より深く理解する必要がある。(『イデオロギーの諸要素』 1801年 序)

 

 

この記述は科学的経験論に特徴的なものである。イデオロギーの「真の要素」とは「我々の知的能力、その主要な現象とその最も明白なる諸状況」である。こうした強調の批判的側面は、ある種対立している反動的なド・ボナールにもすぐさま理解された。「イデオロギー形而上学に取って代わった・・・なぜなら、現代の哲学は世界のなかに人間の観念以外の観念を認めないからである。」ド・ボナールはイデオロギーの科学的意味と経験論的伝統を正しく関係づけており、ロックからコンディアックにいたるこの伝統は、「記号とその思考に対する影響」を最優先し、「我々の思考」を「変容した感覚」に還元してその「哀れな体系」をまとめ上げている。「知性のあらゆる特徴は」とド・ボナールはつけ加えている、「このイデオロギーによる解剖によって切り刻まれ消え去ってしまった」。

 

 このように、イデオロギーという概念の始まりは非常に複雑である。それは実際、形而上学に対抗して、「世界の観念には人間の観念でないものはない」ことを主張したものだった。同時に、経験論的科学の一部門として哲学的な仮定によって限定されており、「イデオロギー」は「感覚の変容」としての観念の変奏であり、「記号の体系」(コンディアックの場合のように、究極的には数学的モデルに基づいた)としての言語の変奏であった。その「人間」と「世界」との特徴的な抽象、受動的な「受容」と「諸感覚」の「規則正しい連合」に依存しているという制限は、「科学的」かつ「経験論的」であるばかりでなく、基本的にブルジョア的な人間存在の見方を構成するものだった。形而上学の廃棄は、厳密で体系的な経験論的探求の発展によって確かなものとなった特有の収穫だった。同時に、事実上の社会的次元の排除――「人間」と「世界」のモデルから社会的関係が実際上排除されるとともに、必然的なる社会的関係は、「心理学の法則」であれ「記号体系」としての言語であれ、形式的体系へと独特の形で転置される――は根深く、取り返しのつかない損失であり歪曲であるのは明らかであった。

 

 知性についていかなる活動的な概念をも排除していることに最初に反論を唱えたのが、古い形而上学的な形で活動性を保持しようとしていた、一般的に反動的な立場にいる者たちであったのは意味深い。より意味深いのは、発展の次の段階において、「イデオロギー」を「非実際的な理論」もしくは「抽象的な幻影」として貶下的な意味で始めて用いたのが、明らかに反動的な立場にあったナポレオンによるのだということであり、それが新たな立場からではあるがマルクスによって取って代わられたのである。

ナポレオンはこう言った。

 

イデオローグの説こそが――この散漫な形而上学は、人間の心や歴史の教えについての知識から法則をとる代わりに、何とか画策して第一原因を探しだし、それに基づいて人々に法律を課そうとする――我が美しいフランスに降りかかる不幸のすべてはそこに帰されねばならない。(A・ナエス『デモクラシー、イデオロギー、客観性』オスロ 1956年 151ページから引用)

 

 

スコット(『ナポレオン』1827年 ⅵ.251)はこう要約している。「イデオロギーという名称によって、フランスの支配者は、自己の利益について何の関心も持たず、熱しやすい少年や狂信者以外には広まることのない類の理論について用いるのを通例としていた。」

 

 こうした「イデオロギー」についてのそれぞれの非難は――それは十九世紀の前半に非常によく知れ渡り、しばしばヨーロッパや北アメリカで繰り返された――マルクスエンゲルスによってその初期の著作で取り上げられ応用された。それが『ドイツ・イデオロギー』(1846年)でドイツの同時代人に向けられた彼らの攻撃の実質的内容である。「観念」に「第一原因」を見いだすことが基本的な誤りとみられている。マルクの序にある逸話には軽蔑を浮かべた実際家と同じ調子がある。

 

昔、ある正直な男が、人間は重力という観念を持つがゆえに溺れるのだと考えた。もしこの考えを迷信だと、宗教的観念だといって頭から追い払えば、水にはいかなる危険もないことを崇高に証明することとなろう。

 

 

「自己の利益に基づく」ことのない抽象的理論は論点を取り逃がす。

 勿論、議論はこの段階には止まり得ない。「人間の心や歴史の教えについての知識」というナポレオンの因習的な(それにふさわしく曖昧な)基準に代わり、マルクスエンゲルスは「歴史の現実的基盤」を導入し――生産と自己生産の過程――そこから「異なった理論的産物」の「起源と成長」が辿れるのである。「自己の利益」に訴える単純なシニシズムは、あらゆる観念の実在的な基盤に対する批判的な診断になった。

 

支配的観念とは、優勢な物質的関係の観念的な表現、観念として捉えられた優勢な物質的関係にすぎない。

 

 

 だが、この段階はまだ問題が明らかに錯綜している。「イデオロギー」は、「意識」が常にその一部分であるような物質的な社会過程を無視したり、無知であったりする類の思考に対する論争的な名称となった。

 

意識とは意識的存在以外にものではあり得ず、人間の存在とはその現実における生命過程である。もしあらゆるイデオロギーにおいて、人間とその環境とがカメラ・オブスキュラでのように逆さまになってあらわれるなら、網膜における対象の転倒が身体的な生命過程から生じるように、そうした現象も歴史的な生命過程から生じている。

 

強調しているところは明らかだが、例えは難しい。網膜の物理的過程は脳の物理過程と切り離すことはできず、必然的に結びついた活動として、転倒を支配し矯正する。カメラ・オブスキュラは比率を見て取るための意識的な装置であった。転倒は実際には別のレンズを加えることで正されていた。ある意味、この類推は二次的なものにすぎないが、おそらくは「直接的な実定的知識」に潜む判断基準と関連している(実際の用例としては反対に働いているのだが)。ある意味、観念の支配的な力という考えを反駁するために「重力の観念」を使用しているようなものである。もし観念が自然力の実際的科学的理解でなく、「人種的優位」や「女性の劣等な智慧」といったものであれば、議論は最終的には同じ道筋を通ったかもしれないが、より多くの意味深い段階や難点を通らねばならなかっただろう。

 このことはより積極的な定義においても真実である。

 

我々は肉体を備えた人間に到達するために、人間が言い、想像し、考えることから出発するのでも、語られ、考えられ、想像され、思い抱かれた人間から出発するのでもない。我々は実在の、活動する人間から出発し、その実在の生命過程をもとにしてイデオロギー的反映やこの生命過程の反響を明示する。人間の脳において形成される幻影はまた、必然的に、経験的に検証され、物質的前提に拘束されている物質的生命過程を昇華したものである。道徳、宗教、形而上学、その他イデオロギーやそれらに対応した意識の形式はもはや外観上の独立さえ保っていない。

 

 

 

イデオロギー」が「外観上の独立」さえも欠いたものであるべきなのは十分に根拠のあることである。しかし、「反映」、「反響」、「昇華」という言葉は単純に割り切りすぎであり、繰り返されて悲惨なことになっている。それは「機械的唯物論」による愚直な二元論であり、観念論者による「観念」と「物質的現実」の分離を、優先順位を逆にして繰り返している。意識的存在から意識が切り離せないこと、物質的社会過程から意識的存在が切り離せないことが、結果的に、こうした意図的な価値下落の言葉遣いによって見失われている。この損害は、『資本論』(i.185-6)におけるマルクスの「人間の労働」についての記述と較べてみれば一瞬で理解される。

 

我々は労働を人間にしかない特徴的な形式だと仮定する。・・・人間の最悪の建造物がミツバチの最上の建造物と区別されるのは、それが現実になる前に想像力のうちでその構造が産みだされることにある。あらゆる労働過程の最後において、我々は初めから労働者の想像力のうちに既に存在した結果を得るのである。

 

 

おそらくこれはまた別の問題ということなのだろうが、「反映」、「反響」、「幻影」、「昇華」の世界との相違は強調するまでもない。意識は始めから人間の物質的な社会過程の部分と見られており、その「観念」における生産は物質的生産であるこの過程の大きな部分を占めるものである。



分業は、物質的、心的労働がの分化が始まったときに真にその形をとる。・・・この瞬間から意識は、自らを存在する実践の意識以外のものであると信じ、なんらかの現実を表象することなく実際になにかを表象するようになる。そこから意識は世界から解放され、「純粋な」理論、神学、哲学、倫理学その他を形成するようになる。(GI)

 

 

 

イデオロギーは「切り離された理論」で有り、その分析は「真の」つながりの修復を含むものでなければならない。

 

分業は・・・支配的階級でも心的、物質的労働の分断としてあらわれ、この階級の一部は階級の思想家として現われ(活動的で概念的なイデオローグであり、階級の活気の主な源泉である幻想を完成する)、その他の者たちは、そうした観念や幻想への姿勢についてより受動的で受容しがちで、それは彼らが現実にはこの階級の活動的な成員であり、自分自身について幻想や観念をつくりあげる時間がないからである。(GI)

 

 

十分洞察力のあるものだが、後の観察が示すところによると

 

それぞれの階級は・・・自らの利害を社会のすべての成員の共通の利害だとし、理想的な形で、普遍性の形で観念化し、唯一の合理的で、普遍的に適正なものだとあらわさざるを得ない。(CI)

 

 

しかし、こうなると、イデオロギーは「ある階級に特徴的な信念の体系」ということと、「真のあるいは科学的な知識と対照しうる幻想的な信念ーー間違った観念あるいは間違った意識ーーの体系」のあいだを漂っていることになる。

 

 この不確実性は決して真には解決されない。「分離された理論」としてのイデオロギーはーー幻想と間違った意識の自然な生地でありーー(本来的に制限された)「階級の実践的な意識」からは分離している。しかしながら、この分離は実践においてより理論においてのほうがずっと実現しやすい。直接的に表現され、繰り返し繰り返し直接的に課されてきた直接的な階級意識の膨大さは「イデオロギー」の害毒を免れ、それは「普遍化する」哲学者たちに制限されているかのようである。しかし、それでは、そうした強力な直接的システムをなんと名づけられるだろうか。「真の」あるいは「科学的な」知識というのは、「実践的」という記述を用いた途方もない手品でしかない。というのも、ほとんどの支配階級は「仮面を剥がされることを必要としていないからである。彼らは通常その存在とそれを批准する「概念、思考、観念」を主張する。それらを投げ捨てることは、通常、彼らの意識的な実践を投げ捨てることであり、それはつねに「抽象的」で「普遍化された」観念を投げ捨てることよりずっと困難だが、それらもまた実際には、単になんらかに依存するあるいは幻想的な概念が持っているより支配的な「実践意識」と複雑で相互作用的な関係を多く持っている。あるいはまた、「ある特殊な時期の革命的観念の存在は革命的階級の存在を想定している。」しかし、このことも真であるかもしれないし、そうでないかもしれないのは、前革命的、あるいは潜在的に革命的、あるいは一時的に革命的なものが革命的階級の維持に発展するかは難しい問題であるし、同じ難しい問題が必然的に、前革命的、潜在的に革命的、あるいは一時的に革命的な観念に生じてくる。マルクスエンゲルス自身のヨーロッパにおけるプロレタリアートの革命的な性格(それ自体非常に複雑な)との複雑な関係は、この難点の強力な実例であり、それは彼らの知的な先人たちに対する(批判による関係も含めた)複雑でよく知られた関係にもいえることである。

 

 この詳細にわたり関連した知識の一時的ではあるが影響力のある代用として実際に行われているのは、まず第一に、「イデオロギー」を幻想や間違った意識のカテゴリーとして抽象することにある(抽象物は、その最上の利点として、比較的容易な抽象化された観念とは異なり、「概念、思考、観念」がもちろん異なった程度において実践となり、物質的な社会過程となることの検証を免れることができるだろう。)第ニに、このこととも関連するが、抽象はカテゴリー上の厳正さを与えてくれ、観念の真に歴史的な意識というよりは新しい時代をもたらすものであり、機械的に継起的な形式と知識と幻想との統合された段階ーーしかしどの?ーーを切り分けることができる。抽象の各段階は理論的にも実践的にも根源的に異なっており、マルクスが強調したように、物質的社会過程には必然的な真の利害の衝突があり、「法律的、政治的、宗教的、美的、あるいは哲学的ーー端的に言えばイデオロギー的ーー諸形式があり、人間はこの葛藤を意識し、闘いあう。」カテゴリーの専門家に抗してカテゴリーの議論に感染することは、全体とその分離できない物質と社会的過程を実践的に認めることによって燃え尽きる。そのとき、「イデオロギー」は特殊で実践的な次元に立ち戻る。人間が彼らの利害やその葛藤に意識的に「なる」(である)複雑な過程である。「真なる」意識と「虚偽の」意識の(抽象的な)区別へのカテゴリーによる近道は、その時、結果的にすべての実践においてそうでなければならないように、破棄される。

 

 こうした「イデオロギー」の様々な使用法はマルクス主義の一般的な発展において存続し続けた。あるレベルにおいては、イデオロギーを「虚偽の意識」としてドグマ的に留保しておくことは便利なことでもある。このことは、つねに社会的関係の、「概念、思考、観念」によるそうした関係の一部として働く「真の」そして「虚偽の」意識の操作的区別に関するより特殊な分析をしばしば妨げてきた。この分析を「現実上の意識」と「負い目のある」あるいは「潜在的な」意識(真の社会的立場について十全で「真の」理解をもつ)とを区別することによって明らかにしようとしたルカーチによる最近の試みがあった。このことはすべての「現実上の意識」をイデオロギーに還元することを避ける長所があったが、カテゴリーは思弁的であり、実際にはカテゴリーとしては容易に維持することはできない。『歴史と階級意識』では、真理とプロレタリアートの観念を同一化する最後の抽象的な試みに依存しているが、このヘーゲル的な形式においては、以前からある「科学的知識」のカテゴリーとの実証主義的な同一化と同じ程度の説得力しかない。「真なる」意識を定義するより興味深いが、等しく困難な試みは、世界を解釈するのではなく世界を変えるのだというマルクスの論点を洗練させようとするものだった。「実践の検証」として知られているものが、真理の評価基準として、イデオロギーとの本質的な相違点として提示された。ある種の一般的な方法としては、これは「実践的意識」という観念の完全に首尾一貫した投影であったが、特殊な理論、公式、プログラムを適用することが卑俗な「成功の」倫理となる、あるいは「歴史的真理」の装いをし、実践において欠陥や歪曲があったときに麻痺や混乱に陥ることがあり得た。つまり、「実践の検証」は「科学的理論」に適用できないし、「イデオロギー」は抽象的なカテゴリーとはなり得ない。「実践的意識」の定義の真の論点は、実際には、それらの抽象化を切り崩すことにあり、にもかかわらず「マルクス主義理論」として再生産され続けることにあった。

 

 二十世紀における他の三つの傾向ではイデオロギーの概念は簡潔に示すことができる。第一に、この概念はマルクス主義内部でも、外部でも、比較的中立的な意味において、「ある特殊な階級あるいはグループに特徴的な信念の体系」として用いられる(「真理」や「虚偽」という含意はないが、社会的状況や利害、意味や価値を定義し構成する体系への実証的な参照がある)。ここでの奇妙な例はレーニンのものである。

 

社会主義は、プロレタリアートの闘争のイデオロギーである限りにおいて、誕生、発達、いかなるイデオロギーとでもの合併という一般的条件を耐え、つまりは人間知識のすべての材料の基礎となり、ある高いレベルの科学、科学的労働などを想定しています。・・・資本主義の諸関係の基礎において、基本的な力として同時に発達するプロレタリアート階級闘争においては、社会主義はイデオロジストによって導入されます。(「北部同盟への手紙」)

 

 

明らかに、ここでの「イデオロギー」は「虚偽の意識」を意図されてはいない。ある階級とそのイデオロジストの区別はマルクスエンゲルスによってなされた区別に関連づけられるが、重要な一節ーー「活動的で概念的イデオロジストは自らの主要な生計の手段として、階級の幻想を完璧なものとする」ーーは、「支配階級」への言及は留保条件として粉飾できないにしても、戦略的に言い落とされている。より意味深いのは、おそらく、中立的で是認される意味合いで出された「イデオロギー」が「あらゆる・・・人間知識・・・科学・・・等々」の基礎において、もちろんそれは階級的な観点から生みだされたものであるが、「導入される」とみなされることにある。明らかにこの立場は、イデオロギーは理論であり、理論は二次的であると同時に必要なものだということである。「実践的意識」、ここではプロレタリアートのものであるが、それはそれ自体では生まれることはないだろう。これはマルクスの考えとは根源的に異なったもので、あらゆる「異なった」理論はイデオロギーであり、真の理論ーー「現実的で、実証的な知識」ーーは、対照的に、「実践的意識」と連合している。しかし、レーニンのモデルはある正統的な社会学の定式と対応しており、「社会的状況」が一方に、「イデオロギー」が他方にあり、その関係は変わりうるが、依存やどちらか一方が「決定する」ものではなく、異なったものの歴史の比較と分析を許す。レーニンの定式には政治的に正反対の立場からの反響もしている。ナポレオンが「イデオロジスト」と同一視されるのは、見方によって「民衆」に自由、あるいは破壊の観念をもたらした。ナポレオン的な定義は、形を変えることなく、もちろん、諸観念、あるいは諸原則によってさえ定義される政治的闘争に対する民衆的な批評の形を主張しても射る。(「空論」の産物である)「イデオロギー」は「実践的な経験」とは対照的である。「空論」や「教条」ばかりではなく、アプリオリで抽象的な一般的な意味での「イデオロギー」は、同様に一般的な(中立的で、是認される)記述的な意味と両立することは居心地が悪い。

 

 最終的に、その産物だけではなく、諸価値の意味合いをも含めたあらゆる意味づけの過程を記述する一般的な用語が明らかに必要である。「イデオロギー」や「イデオロギー的」がこの意味で幅広く使われているのは興味深い。たとえば、ボロシノフは記号を通じて意味を産出する過程を記述するものとして「イデオロギー的」という言葉を用いており、「イデオロギー」は、意味と価値が産出される社会的経験の次元にあるものとして捉えられている。他の意味に比べてかくも広範囲で難しい関係を結んでいるので、強調するまでもなく活用できるように思える。しかしながら、用語そのものは妥協できるとはいうものの、なんらかの形で、社会の中心的な過程としての意味づけを強調することは必要である。マルクスにおいて、エンゲルスにおいて、そしてマルクス主義の伝統の多くにおいて、「実践的意識」に関する中心的な議論は制限され、歪曲されることも頻繁であり、それは社会的意味づけの根本的な過程が「実践意識」にとって本質的であること、またその産物と理解できる「概念、思考、観念」にとっても本質的であることを理解することに失敗するからである。デスタットに始まる概念としての「イデオロギー」の内部での制限された条件は、意味と価値が形成される過程を「観念」あるいは「理論」として分離できるかのように限定する傾向がある。それらを「感覚世界」に引き戻そうとする試み、あるいは、他方において、「実践意識」や「物質的社会過程」がこれらの根本的な意味づけの過程を排除するものとして定義されることは、変わることのない間違いの元である。「観念」、「理論」、「現実的生の産物」のあいだにある実際的なつながりは、すべて意味づけの物質的な社会過程にある。

 

 その上、このことが理解されるとき、観念や理論だけではなく、我々が「芸術」や「文学」と呼ぶ非常に異なった作品、また我々が「文化」や「言語」と呼ぶ非常に一般的で、通例の要素は、還元、抽象、同化以外の様々な方法によって取り組むことができる。これは文化的、文学的研究、特にマルクス主義のそれらへの貢献においては考慮に入れなければならない議論で、外見とは異なり、これ以後より議論を呼ぶものとなると思われる。しかし、そのとき、「抽象」や「幻想」、あるいは「観念」や「理論」、あるいは信念や意味や価値の「体系」の意味でさえ、疑問にさらされることになり、十分に正確で使用可能なものとなるために、遠大かつ根源的な再定義がなされねばならない。

 

{ここまでで尻切れとんぼ。}