レイモンド・ウィリアムズ『マルクス主義と文学』 6

 しかし、この達成のなかにも難点がある。本質的なものとして社会的過程を強調することは、進歩的単線的な発達と関連する、根強く残っている合理主義の一種、社会の「科学的法則」を発見しようとする傾向の一変種だと性質づけられる。それは本質的な部分を弱め、より手段に重きを置いた観点を強化する。また、物質的な歴史を強調することは、特に体制では避けがたい論争のなかでそれを行なうことは、ある種の妥協を生みだした。次の根本的な動きとなる文化的歴史の物質化の代わりに、それを依存的で、二次的な「上部構造」、基礎的な物質的歴史によって決定される「単なる」観念、信念、芸術、慣習などの領域とした。ここで問題になっているのは還元のことだけではない。観念論的な文化思想の主導的な傾向であった、物質的な社会的生からの「文化」の分離が、形を変えて再生産されているのである。かくして、本質的な社会過程として、特殊で異なった「生の様式」を創造するものとしての文化の概念、物質的社会過程を強調することで著しく深めることのできる文化概念の充分な可能性が長い間失われ、しばしば実際には、抽象的で単線的な普遍主義にその地位を奪われていたのである。同時に、「知的な生」や「諸芸術」を定義づける文化のもう一つの概念の意味づけは、あからさまに「上部構造」に還元されることで妥協し、それが観念化される過程において、社会や歴史との必然的な関係を絶つ者の手に委ねられ、心理学、芸術、信仰の領域で、人間の本質的な過程についてのもう一つの意味を力強く発展させていった。二十世紀になって、この種の意味が、本来のマルクス主義の介入に含まれていた、そしてそれがほぼ明らかなものとした真の挑戦には直面することなく、なんらかの根拠をもって誤りだと言えるものを攻撃することで、マルクス主義を圧倒し、息の根を止めた。

 

 もちろんいまでは、非常に多くの異なった体系や実践に編入されている「文化」という概念の複雑な発展において、十八世紀や十九世紀初期の形成期において繰り返し立ち戻られた一つの重大な問題があるのだが、それがマルクス主義の最初の段階においては完全に無視されるか、あるいは少なくともまったく発展させられなかったのである。それは人間の言語に関する問題であり、それは「文明」の歴史家には最重要であり、ヴィーコからヘルダー、そしてそれ以後にわたる「文化」の本質的な過程についての理論家にとっては中心的な、決定的な問題でさえあった。実際、「本質的な人間の過程」という観念が意味するところを十分に理解するためには、我々は言語の変化する概念に目を向けなければならない。