露伴の齋藤緑雨の葬式における弔辞

 

 

 齋藤緑雨の葬儀が、露伴を含めて数人の参列者によって執り行われたときの様子は、山田風太郎の明治ものの短編に描かれていた。柴田宵曲の『明治の話題』には露伴の弔辞の一部が紹介されている。「維明治ノ三十七年四月十三日、緑雨齋藤君卒す、嗚呼哀哉、天の才人にさいはひせずして世のはやく詞客を失へることや、予の君に於ける生前既に交を訂す、死後何ぞ情無からん、惋惜やまず、哀以て終りを送り辞以ておもひをのぶ」と前おいて「死してほろびざるものは、いのちながしと猶龍の、云ひたる詞おもしろし、文字ほろびず文字世にあり、才ほろびずて才長く在り、嗚呼君長くいのちありけり、嗚呼君長くいのちありけり、人間の壽夭また何ぞ論ぜん」と続いた。葬儀は土砂降りの風雨のなか、いまの文京区にある曹洞宗の金龍山大円寺で行われた。