幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈39

霜にまた見る朝かほの食 杜國

 

 または復であり、まだではない。朝顔の食は、花の酒、露の宿などというようなもので、興のある言葉づかいで、強いて問い詰めるべきではない。朝非常に早く食べる飯ということである。見は朝顔にかかり、食にはかからない。前句を、夜直の勤務を終えて初雪の降りかかるなかを帰ると見て、さて家に入って食卓に向かうと、猫の額ばかりの小さな庭の朝顔がいまは霜枯れしているのを見て感を得たさまをいう。この句をそのように解せずに、前句に対して逆つけにしたものとし、そうではないとするものもある。出勤に非常に早く食事する者が露に溢れた朝顔を見ながら箸を取ったのはいいが、霜でその花が凋れているのを見ながら袖寒い曉の膳に向かう感慨があると解する。これでも理解できる。あるいは逆つけしたとみる方が正解かもしれない。そうであれば、またはまだの誤りである。まだは前句の「も」に対する。芭蕉が其角に送った「朝顔に我はめし食ふ男哉」の句など思い寄せて解釈するのはやり過ぎである。