ケネス・バーク『歴史への姿勢』 80
IV
テクノロジーの観点から「世界」を考えるとき、次の問題はこうだった。<この観点から>動機づけを最も最適に範疇わけし、分類するにはどうしたらいいか。テクノロジーにある顕著な要素が我々に手がかりを与えてくれる。<使用>という要素である。例えば、修正されたポスト功利主義的な考え方では、その語をいかに広範囲に解釈しようと(拡大されていることは我々の「職務」という言葉で示されている)、我々は使用という見地から問題に取り組む。しかし、考慮すべきもう一つの問題がある。理想として言うと、我々は包括的な動機づけの見取り図である「職務」を述べるにあたり、多くの語を必要なものとして採用したが、それは十分であるわけではない。
初期のローマが世界秩序の動機を考慮した道筋に則ることで(ローマ人の<地球>に関する考えは実際的であるよりは観念的だったが)、我々が望む動機についての用語法は、<新ストア派的な>風合いを強くもつこととなろう。かくして、ストア派の勤めに関する観念をテクノロジーの使用という観念と結びつけ、我々は「人々は互いに何をするのか」と問うことで、包括的な用語法の選択を導くこととなろう。この問題が決定されれば、次に考えるべきは「どんな動機がそうした(理想的な)『友愛に満ちた』勤めを助けたり妨げたりするのか」である。
我々が試験的に提示した(ちょうど用が足りるだけのに止め、それ以上にはしないという原則に従って出した)七つの「職務」については、それぞれの価値が固定した絶対的な秩序において関係しているわけではない。即ち、我々が取る見地によって、様々に評価されうる。そこで、ある種任意に数え上げ、簡単に注釈をつけることで満足しなければならない。人々が他人との関わりにおいて行なう基本的な職務とは(その数はいまだ仮のものであるが)、統治すること、仕えること(物質的に供給する)、守ること、教えること、楽しませること、治療すること、聖職者としての儀式の執行(「彼岸」の代理人として)である。※1
*1:※1我々の進行の一段階がここでは取り除かれている。七つの職務を決めるちょうどその前に、理想的な教育のシステムが向う多様な目的を無作為に挙げ始めたところだった。この段階で、我々が考えたのは次のようなことである。ビジネスや事業のための教育、自由な探求のための教育、特殊な技術のための教育、政治的熱狂のための教育、奴隷のための教育、官僚制のための教育、神の崇拝のための教育。