五大洋発掘記 2 ジャン・ロラン『仮面物語集』

 

 

小浜俊郎訳、国書刊行会、「フランス世紀末文学叢書」の第七巻。 1984年。

 

 ジャン・ロランは1855年ノルマンディーの港フェカンに生まれ、1906年に51歳で死んだ。1890年代から死に至る15年ばかりのあいだに詩集、戯曲、小説、旅行記、クロニクル、書簡集まで含めると66冊の本が出版された。書簡集などは死後の出版なのかもしれないが、とにかく多作の人である。カトリックに改宗以前のデカダンス期のユイスマンスと親しかった。本国のフランスでも、評価が定まっておらず、その作品を読むためには気長に古本屋を巡るしかないらしい。この一冊は数冊の本から25編程度の短編及び連作が訳者によって選択されている。

 

 ところで、澁澤龍彦などを手引きにフランス文学を読み始めた大昔のこと、どういう思考回路を辿ってそうなったのかはいまは思い出す術もないが、世紀末文学といえばジャン・ロランであり、ロランを読むためにフランス語を勉強しなければ、と考えていた時期が確かにあったのである。考えて見れば不思議なはなしで、澁澤龍彦が編集した怪奇小説という縛りもなんのその、自分好みのスタイリッシュな幻想文学で統一してしまった創元推理文庫の『怪奇小説傑作選』フランス編に短編の「仮面の孔」があったのと、これもいまでは懐かしい妖精文庫の一冊として『フォカス氏』が訳されていたのを読んだだけで、現在ではその片鱗すら記憶に残っていないことを思うと、何をもとに夢中になったのか狐狸の類に化かされたと考えるしかないのか、あるいは本来極端に腰が重いタイプであるにもかかわらず、金田一耕助シリーズの警部のように、「よし、わかった!」とすべてが自明に思えてしまう私にとっては、ジャン・ロランセーヌ川岸の古本屋をひやかしながら漁っている未来が隣の部屋にあるものと同じくらい自明なことに思えたことがあったのだろう。

 

 ジャン・ロランの主要なテーマにはこの本の表題にある通り、仮面があって、それが当時の私の関心に通じたのかもしれない。もっとも、ロランの仮面は、私が好物とする仮面を取ると空虚な空間が広がっているというような、仮面が別世界への入り口となるといった跳躍台になるのではなく、むしろもっと繊細な、いまここにある現実との疎隔をあらわしているようである。

 

 仮面というよりは亡霊、怪物というよりは幻影、小さな町の怪物が生む物柔かな恐怖のなかで、悔恨の匂いを放つかのように、物淋しくも憂鬱な仮面の群れよ!

 地方は彼らを沈黙とびろうど擬いの閑静な塵と埃のなかに保存した。彼らには忘れ去られた骨董品の悲痛な魅力と、もはや誰も足を踏み入れぬ祖父の部屋で偶然にも見つけ出した、古めかしい蝶のコレクションの甘美な情緒とがある。彼らは恐怖の的が奏でるエレジー、ホフマン風な曽祖母たちが愛した鈍い光沢の真珠と乾いた涙、過去の肝を冷やす幻想にほかならぬ。

 

 

とあるように、ある種の痛切なノスタルジアをあらわしていて、イギリスのアーネスト・ダウスンなどにもっとも近しい。なんとなく血みどろのデカダンスの旗手として記憶していたのが、まったく捉え損なっていた。もっとも、痛切なノスタルジアの徒というのも、私は嫌いではないのだが。