一円一話 10

 

 

ポー 夢想の原始性 夢とイメージ

 語り手は読者を恐ろしい場景の前においたのではなく、恐怖状況のなかにおいたのであり、彼は根源的な力動的想像力を揺り動かしたのである。作者は読者のたましいのなかに直接、墜落の悪夢を誘いこんだのだ。彼はわれわれの内的本性に深く刻まれている或る型の夢想に由来する、いわば原始的な嘔吐を見つけだすのである。エドガー・ポーの多くの短篇において、人は必ず夢想の原始性を再認するであろう。夢は覚醒生活のうみだしたものではない。それは根源的な主体的な状態である。形而上学者はそこに想像力のコペルニクス的展開が行なわれているのを見うるであろう。実際イメージはもはや客観的<<輪郭>>によって解明されず、主観的<<意味>>によって解明される。この変革は結局、

  夢を現実より先きに

  悪夢を葛藤より先きに

  恐怖を怪物より先きに

  嘔吐を墜落より先きに

おくことに帰着する。約言するなら、読むものにそのヴィジョン、恐怖、不幸を否応なく感じこませるほど、想像力が主体の内部で生きるのである。もし夢が何かの想起であるなら、それは生より以前の状態、すなわち死せる生の状態、幸福の以前にある喪の状態の想起である。人はさらに一歩を進めて、イメージは思想、物語よりも以前に、さらにはあらゆる感動よりも以前にあるものだということができるであろう。

 マラルメヴァレリーなどが読み取ったポーの他にも、より原初的でだけだけしいポーが存在する。