ブラッドリー『仮象と実在』 102
第十七章 悪
... [ある間違いによってもたらされた難点。]
我々は誤りが絶対における完成と両立可能であることを見てきたが、悪の場合にも同じ結果に達するよう試みてみなければならない。悪は、もちろん、重大な難点をもたらす問題であり、なかでも最悪のものが持ち込まれ、純粋な誤解として残っている。ここでもまた、「自由意志」と呼ばれるものが問題となる。難点は、絶対が道徳的な人格だという観念から生じている。こうした根拠から出発すると、悪と絶対との関係が解きほぐすことのできないジレンマとなってあらわれる。問題は、曖昧というわけでも、神秘的というわけでもないが解決しがたいものとなる。ごく普通の感覚をもち、物事をあるがままに見るだけの勇気を持っていて、他人や自分をごまかすことで解決しようとはしないなら、実際論じるべき問題はなにもない。このジレンマは、明白な自己矛盾に基づいているために解決することができないのは明らかであり、それについて論じてもなんら有益なことはないだろう。こうしたことは、我々が絶対を(正式に)道徳的だと仮定する根拠を有するときにのみ関わってくる問題である。しかし、我々はそうした根拠をもっていないし、後に(第二十五章)道徳性は(そうしたものとしては)絶対に帰することはできないことを確かめてみようと思う。それとともに、問題は、他の多くの例と比べて一層悪いというわけではなくなる。それゆえ、読者にはためらいや疑いを捨て去ってくれるようお願いしよう。我々が問いかける問題が解答不可能であることが証明されたとしても、それは曖昧であったり、理解不可能なものであるためではないことは確かである。単に我々のもつ資料が不十分なだけなのである。とにかく、我々が探っているものが何であるのか理解するように努めてみよう。