一話一言 17

 

 

狂熱の媒介者としての<である>

 世界がまさしく戯画的であることは明らかだ。すなわち何を眺めてもいまひとつのものの戯画である、或いはまた期待外れなかたちでの同一物である。

 反省にふける頭脳のなかに文章が<循環>しはじめて以来、全面的同一化が行なわれた、けだし繋辞(copule)の助けをかりてどの文章もひとつのものをいまひとつのものに結びつけるからだ。それ自らの迷路のなかで思考を導くアリアドネの糸が印す道筋を、もしも一望のもとに見わたすならば、一切はつながっていることが判明するであろう。

 だが辞項と辞項の<交接>(copule)は肉体のそれに劣らず刺激的である。従って私は太陽であると私が叫ぶとき、そこから完璧な勃起が生じる、けだし<である>という動詞は愛の狂熱の媒介物だからだ。

 最強のコプラ。