ブラッドリー『仮象と実在』 110

     ... [時間は超越される。]

 

 恐らく、本来は問題をこのままにしておいた方がいいのだろう。というのも、先に進み、時間の非実在性について納得してもらうように努めるとなると、誤解が予想されるからである。私は我々の事実の本性を弁明しようと、或は言い抜けようとしていると非難されるだろう。私はそうした試みそのものが幻影と見ているのだと抗弁しても一顧もされないだろう。(繰り返すことになるが)、我々はどのように時間があらわれるのか、また、どんな方法でそのあらわれが超越されるのかについて知ることはできない。しかしながら、私自身のため、また物事をありのままに受け取る読者のためにいくつかのことをつけ加えておこう。これらの考察は時間の堅固さについての我々の信念を弱める助けとなる。それは突出し、やがて巻き込まれる固まりではない。一緒くたに投げ込まれた緩やかなイメージであり、我々がそれを見つめるとばらばらなのである。