トマス・ド・クインシー『スタイル』6

 だが、多分こうしたことすべてを示すには、英国のスタイルを我々の最も重要な隣国であるフランスとドイツのスタイルと並べてみることがいいだろう。文明の主導者であり、知的な意味において<力>があるということになれば、ヨーロッパには三つの国しかない。つまり英国、ドイツ、フランスである。スペインとイタリアはどうかといえば、臨終寸前にあって四肢は動かず、過去に安らっている。ロシアと北アメリカは東と西におけるキリスト教国の防壁である。だが<中心にある>三つの力こそがあらゆる意味において文明の原動力なのである。すべてについて創業者であり主宰者である。

 

 この比較によって我々はフランス語でs'orienterと、ドイツ語でsich orientiremと表現されることをする利益がある。コンパスで一つのものの位置を確かめることによって残りのものの位置を確認することができ、芸術家の間に身を置くことによって自分の芸術の価値を見積もることができる。

 

 フランスのスタイルについて言えば、我々は、フランス文学についてなんの予備知識もない英国の作家がフランスの図書館を自由に動きまわるときに覚える驚きを想像することができる。英国の本すべてに共通して認められるスタイルの欠点がフランスには存在しない。厳密に文字通りに言って、フランス文学をかなり経験している我々は、英国の文章に広く行き渡り価値を傷つけているような不恰好で非実際的なスタイルの例を一つといえど挙げることは不可能に近い(多分不可能だろう)だろうと言える。だから例は挙げられない。フランス人にこの欠点を単なる可能性としてわからせるにしても、なにか「翻訳されたもの」を用いなければならないだろう。