幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈12

影法の暁寒く火を焚きて     芭蕉

 

 影法はいまでいう影法師で、略語ではない。何々坊というのはすべて人に擬していう言葉で、しわい(しみったれ)なのをしわん坊、けちなのをけちん坊、取られるものを取られん坊、取るものを取りん坊または取ろ坊、かたゐ(乞食)をかったゐ坊というのと同様である。 法は当て字で坊と同じで、影法は影坊であり、影法師の師の文字は添えることで生じたもので、孤独の「独り坊」を「ひとりぼっち」というときの「ち」のようなものである。貞享、元禄のころは、影法とも影法師とも言ったもので、いまのあり方で昔を疑ってはいけない。一句は葬儀の場に籠もった人が悲嘆で身も細るほどの暁に、衣服も薄く胸が氷りそうな夜明けのあり様をあらわして、すさまじく哀れな様子をよく言い取っている。旧註で、墓守の翁だというのはよくない、なき主に忠義の厚いものか、母親に孝行の思いが中々去らない子供であろう。前句とのかかりはいわなくとも理解すべきである。「消えぬ」という語に縁を引いて影法といったなどというのは間違いである。情景を描いて情があり、情を述べて景色があり、影法は明けようとする空に薄れて、卒塔婆は夜が遠くなっていくうちに白々と浮かびあがる、嘘寒く凍りつきそうな状況を見てとるべきである。肌を粟立たしめる一句であり、連句としては涙を誘う。詩は解釈するのではなく味わわねばならない。非人であるという旧解はとりがたい。*

 

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*1:*安東次男は、「前句荷兮の句が、本来なら恋から離れるべきところをむしろ恋のうつりになって終ったことに、芭蕉はふたたび句運びの渋滞を感じたのではないか。というふうに眺めてくると、ここはどうやら旅の態のように見える。「すご/\となく」女の傍を通りかかった、あるいは女の家に一夜の宿をもとめた旅人であろうか。」と読んでいる。