幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈34

我が祈あけがたの星孕むべく 荷兮

 

 前句をこのしろの供物をいただいて、天に子供を願うさまと見立て、よき一子を得たと喜ぶ様である、と古註では解釈してある。『鶯笠』は、神前に捧げて祈るのではなく、頭に戴き、潔斎断食して台上に立ちつくし、天に祈る様子があり、ただの人ではなく、だからこそ星を孕むとしたのだろう、といっている。いずれの解も笑いを催すような解である。狐の骨を戴いて変化自在の術を得ようと月に祈る、という妄談は聞いたことがあるが、このしろという名だからといって魚を差しあげて子を天に求めるということなどいまだ聞いたことがない。ことに市人ではない人が事々しく台上にこのしろをいただいて、立つ様子を想像してみると、狐に騙され惑わされた愚かな人を絵に見るようで、笑いを禁じ得ない。前句の魚を戴いた人を、語の縁によって、子を得ることを欲するものとみるのはいいが、その人が祈って星を孕むことを喜ぶとするから不可解な解釈となる。我が祈りと断ずる語気、星孕むべくとした口調を熟考すれば、箕を戴いた人の祈るのではないことは明らかで、もしその人が祈るならば、「明方の星孕むべく祈るなり」とか「祈りたて」とあるべきで、「我が祈」と句づくりするはずがない。これは子が欲しい本人が祈るのではなく、魚をもって願いをする人に対して、田舎の怪しげな修験者か僧などが鼻をうごめかして、私の祈りなどは役に立つまいが、古の人のように星を孕んで、よい子を得るように祈ってみよう、名のある人物は星がこの世に降りてきたものである、などと物々しくほらを吹いて、このしろの田楽に縁のある駄味噌を言い立てる滑稽の様を思うがいい。ここに至って、前句のこのしろをいただく人をたびたび子を亡くした女と見立て、その哀しい過去を繰り返さないように祈ってくれと頼まれた者の広言を吐く様子をつくったものである。法印とも山伏とも明言はされてないが、語気口調によって田舎の小さな祠などに巣喰っている似而非者の姿がありありと見える。荷兮の句、演劇っぽいところがあるのが癖である。前に出た「乗物に簾透く顔おぼろなる」という句に、「今ぞ恨の箭を放つ声」と答えたのも、演劇的である。「初雪の巻」で「奥のきさらぎを只泣きに泣く」という句につけた「床更けて語ればいとこなる男」というのも演劇めいている。「炭売の巻」で、「門守の翁に紙衣借りて寝る」に「血刀かくす月の暗きに」と付けたのもまた演劇めいている。これらのなか、「恨の箭」、「血刀」などは付けようが面白く、手柄をあらわしている。特に恨みの箭を放った人は、前句の乗り物に座っている人ではないことは論なく、箭を放ったものがどのような人物であるかは句中にはあらわれないこと、それは、「我祈あけ方の星孕むべく」という句のなかの人が、前句の魚を戴いた人でなく、しかもその人どのような人物であるか句中にはあらわれないのとまったく同じで、それでいてその人物が自ずから見えてくる。よく老子を解するためには老子をもってすべしという論が古人にはある。芭蕉を解するには芭蕉をもってすべく、其角を解するには其角をもってすべく、荷兮を解するには荷兮をもってするべきである。恨みの箭、祈りの星、手法は非常によく似ていて、既に彼を解しているものならばこの句を解するにおいて、自分の言葉を待つこともなかろう。ただ引用した句には手柄があり、この句はし損じに近く、演劇の興行、当り不当たりは免れないことであろう。