ケネス・バーク『歴史への姿勢』 33

 新たな構造が慣習によって承認を得るまでになると、そのピラミッド状の規律は新たな資源を求める際の最も手頃な社会となっている。カトリックのシンボリスムが崩壊の危機にさらされているときに、王を首長とした国家主義的総合を通じた新たな統合のための最上の機会が与えられていたのである。

 

 イギリスと大陸の双方におけるこの転換には、中世的論理を逆転して国家の繁栄を推し進めようとする政治家、経済学者、重商主義者の後押しもあった。こうした啓蒙的な思想家が現れるまでは、一般的に「有利な貿易の均衡」が語られる際には、それは貿易において出て行く品物より入ってくる品物が多いことを意味していた。つまり、一頭のいい牛を出し、同じようにいい二頭の牛が入ってくるなら、「有利な貿易の均衡」を享受しているわけである。これは道理に適ったことに思える――ところが、スコラ主義の経済理論家たちは、この点から出発して、ある根拠に依りながら通常「非合理的に」考えてきたのである。

 

 しかし、重商主義者たちは集団として、より進んだ考えを思いついた。入ってくるより出ていく品物が多い方が有利な貿易の均衡が保てるという考えである。そして、彼らはこの混乱を象徴の助けを借りることで「超越した」、つまり「金塊」である。輸出を優先することが「損失」よりも「利益」であるのは、それが象徴の輸入の優先でもあるからである。交換がなされるときのシンボルとは金塊であり、金銭である――国にとっては現実の物品を国の外に放り出し、その優秀性の対価としてインフレを誘発する象徴的等価物である金銭を手にするのが最大の成功である。

 

 我々はこの逆説を単なる思いつきで述べているのではない。むしろ、これこそ資本主義が抱える難点の中心にあると思っている(この問題は、より後の段階になって、輸出の優先がよりインフレ傾向にあるシンボル、つまり、海外に向けて発行されるが、結局は支払いを拒まれてしまう国債を通じて、負債を輸入するようになっても解決されない)。たとえ反愛国主義が意図せざる副産物なのだとしても、我々はこの重商主義説に本質的に反愛国的性質のあることを指摘しようとしているのであり、というのも、この間にも、愛国者の注意はあらゆる方向に向いており、可能な限りの方法で、物品を国境の外に投げ出し、世界中の軍隊が集まっても獲得できないほどの鉱山、森林、農場からの産物を外国人に押しつけるために「愛国的に」政府の援助を要求していたからである。

 

 実際のところ、有利な貿易均衡に関するこの逆説的な重商主義説は全体としての国家の繁栄には反対に働き、特殊な集団の繁栄に資するよう働いている(ある国の資源の「効率のよい」搾取が部分的に国自体を枯渇させるまで大きなものとなるまでは)。*国際的な銀行家は、同国人の間で海外の融資を浮動させることで物品を海外に送り出す大きな力となれる。そして、交換に得る補償的シンボル、海外の負債を証明する記録は、最終的には廃棄されねばならない。しかし、銀行家はこうしたシンボルで現実の物品を買うことができ、流通を操作しているのはである。鉱山や農業の資源、また人間の労働力が無駄に費やされ、国境からどんどん物品が出て行くことで国が貧しくなればなるほど、銀行家はこの絵に描いたような巧みな計画によって利益を上げ豊かになっていく。

 

 

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 彼らを擁護することもつけ加えておこう。資本主義がこうした逆説に達するまで進むと、実際には、彼らは国家的涸渇という状況のなかで「高徳な」人間の役割を演じているように感ずることになる。少なくとも、生産の十パーセントでも国境の外に出し、インフレ傾向を助長する金塊(あるいはよりインフレ的な紙幣)と交換しないなら、「窮乏のとき」が我々を襲い、製造業は「削減され」、労働者は解雇され、購買力は次第に落ち、自国の農場や工場によって残りの九割の産物も生産し、配分することが「不可能」になる。回復に向けて「飛び上がる」機会を見つけ、落ちてきた道を再び「登り始める」までは、事態は「螺旋状に降下」していく。誰かがホッテントットに車を買うことを勧め、(「現在のところ」彼らはお金を持っていないので)、我々のあまっている公債でホッテントットが車を買うのを助ければ、我らの工場は操業を始め、我々はみな賃金で車を買うことができる――我々の繁栄は忌まわしいホッテントットが公債などになんの関心も持てないことが明らかになるまで続く――ちょうどこれは、大部数で売られる本に過去の栄光を描いたものがほとんどなく、少部数で売られる多くの本に世界の終りが描かれているようなものである。*

 

 

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 重商主義は、後の発展で行き着いた逆説ほど非合理的なものではなかったことを認めねばならない。金塊の力によって、君主は攻め込むための軍隊をもつことができ、いわば間接的に帝国を「買う」ことができた。当時においてはそれは充分適切なものだった。基本的な矛盾が徐々に拡がり厳しさを増し、後に「階級闘争」にまで達することになると、「有利な貿易の均衡」といった言葉を見ると、「誰にとって有利なのか」という疑問をつけねばならなくなってくる。

 

 重商主義は、スコラ的理論と、アダム・スミスの『国富論』で花開いた経済学の中間にあった。封建主義とその変種である君主制につきものの父権への強調があらわれていた。同じ封建的-父権的傾向は、産業の初期段階にも残っており、商人や製造者は自分たちを家長と考えたがり、事業の系列は、家系としての意味合いを強くもっていた。こうした姿勢はトーマス・マンの『ブッデンブルック家の人々』によく伝えられており、初期の父権的な事業(パトリゼル家を中心とした)が、利益について純粋に抽象的な見方をする近代的な重役に完全に追いやられてしまう様を描いている(ドイツはこうした発達においておよそ一世紀イギリスよりも遅れている)。

 

 手工業では、この経営者-父権は古い中世的なギルドの部分的な生き残りに適合しており、道徳的で非機械的な「適正価格」という考え方によって質の標準化を目指すのだが、スミスが呈示する姿勢は市場に機械的な行動を割り当てることで非人格化することであり、「適正価格」は自己調整的な「需要と供給の法則」による道徳とは関係のないメカニズムで得られる。手工業ギルドは、熟練した職人の権利を危険にさらすテクノロジーを歓迎するよりも、現状の生産方法を維持しようとする「反動的」集団としてあらわされた。そのメンバーは最初はラッダイトであり、自分たちの身の保全は古くからある方法にかかっていたので、できる限り古い方法を維持しようとした。しかし、市場経済の影響は高まり続け、中世的なギルドと現代の職人組合の中間段階が、工業的組合主義によって乗り越えられるまでは、完全なものとは言えない(彼らの快適な生活という観点からは)「教育」が余儀なくされたのである。

 

 集団の幸福によって個人的な利害関係は帳消しにされるというアダム・スミスの楽観的な宿命論は、新たな型への転換が形を取り始めたときに述べられた。彼の図式は、一面では、単に中世の状況を世俗的にしたに過ぎない。多くの独立した封建領主が教会という普遍的シンボルのもとに統合されたように、それに較べるといささかみすぼらしくはあるが、個々の事業が市場の法則によって統合されるのである。新たに見いだされた恩恵、交換の普遍の法が、神の普遍の法にとって変わる。あるいは、別の言い方をすれば、市場の法が「自然法」に取って代わった。我々は機械的神の摂理を手に入れたのである。*

 

*3

 

 まさしくこの地点において、独占資本の発達を促す非人格的な関係の新たな源が生じ始めた。人は宗教的団体、市民的団体、職業的団体の成員となっていた。今度は、多くの成員が集まるまで仲間を増やしていく金融団体の成員となる機会を得るわけである(意味深いことに、彼らは「兄弟」と呼ばれる)――そして、最終的には「株式会社」に到達する。あと必要なのは、この奇妙な生き物に法的な「人格」を与えてくれるきまじめな判事だけであって、それで将来は保証される。

 

 それ以上は何もいらない。ある裁判では人格が認められ、別の裁判では認められないこともある(というのも、時には、人間の「自由」を得るために人格だと言い張ったほうがいいし――投獄されそうなときには、人格ではないと言ったほうがいい。また、海外に行き、危険だというので帰ってこいと言われ、それでもあえて滞在を主張し、政府が安全の保証を拒むといったときなどは人格となり、そこにとどまり、政府に保護を要求するときには非人格となる)。

 

 法的解釈によるこうした「どちらに転んでも勝ち」という戦略は何十年もの間続き、資本主義におなじみの逆説に行き着いた。アメリカでは、「トラスト解消論者」セオドア・ルーズベルトが大統領の時に、トラスト側の大きな一歩があり、最も強力なトラストによるシャーマンの反トラスト法への訴えによって敵対的な会社連合が差し止められたのである。裁判所がスタンダード・オイル・カンパニーを解体するときに、内部の人間は謎めいたやり方で資産を分割し、かつてないほどの大金を手に入れ、価値のない共有ほど最高に価値があり、最大の利益を上げられるという風評、そして、遺産のない会社が価値を共有しても、それで僅かな食物が買えるだけだという風評が広まった。

 

 「持株会社」、会社の上の会社をつくることで、金融の専門家は書類とひきかえに現実に働いている会社を手に入れることができる。「汲みだし装置」をつければ、会社の社長は利益を自分や同じ系列の個人的な会社に導くことができる。「金融引き締め」を行なえば、交換の媒体は金銭からクレジットになり、このシンボリズムに戦略的な焦点を合わせておけば、狙いをつけた財産を安く奪い取ることができる――アダム・スミス機械的神の摂理が(大部分の小さな事業では利益な損失をともに分かち合うよう働く)今日の巨大な経済帝国に転化され、競争相手は理事会の結束によってその力を軽減するが、その影響力は立法、教育、警察力の掌握によってより効果的になった。この掌握はしばしば直接的であるが、常に直接的である必要はない。その力の多くは間接的なことからきていて、それは、あからさまな攻撃性としてではなく、受容の枠組みに暗に含まれているという事実からくる。それは、つつましい人間が僅かのものを得ようとして使うのと大きさこそ違え同じものである。つつましい人間は自分のもつ僅かなものを失うことを恐れるので、その恐れの副産物として、会社の大きな利益を守ってしまうのである。

 

 こうした状態も充分悪いものだが、更なる問題が迫っている。こうした会社は、このつつましやかな人間の僅かなものを奪い取る以外なにができよう。そして、それを得た後、どうやってそれ以上のものを得ることができるだろうか。ある程度、問題は自ずから解決している。彼らが収入として個人的に懐に入れたもののいくらかは政府に税金としてとられ、その一部は僅かなものを失った者たちに当てられている。あるいは、政府は税金を課さず、貸し付けることもある――しかし、これは結局はクレジットを危険にさらし、個人的な富が集団的クレジットに巻きこまれる。できるだけ多くの人間に実体経済を強制するなら、彼らには物を売らないことになる。富者のための経済に留めておこうとするなら――直接的にか、あるいは政府を通じて間接的にか――商品を買うための金銭を与えねばならない。*彼らに靴を買わせれば、見返りにヨットを買うことができよう。靴を買うための賃金を削減することで利益を上げようとしても、見返りは遅くなり、豪華なヨットは遠くなるに違いない。これはそれに向けて戦うに値する混乱した状況であり――また、我々の側にも戦いはある。

 

 

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*1:

*サムソンは宮殿を自分の上に引き倒した怪力を持つ人間であるばかりではない。資本主義の必然によって駆りたてられたテクノロジーは、サムソンの巨大化した姿であり、彼の行為を制度機関のあらゆる面、生産技術の全組織にまで敷衍したものである。二ドルの小麦を輸出し、代わりに黄塵地方を手に入れるといった類の「利益」にはいかがわしいものがある。

 科学のなかにはエコロジーという小さな部門があって、我々の注目を集めるようになっている。その教えによれば、この惑星の全体的な経済は効率的な開発だけによっては支配することができず、部分的な開発でも全体の均衡を崩すほど大きくなると、結局は全体に悪影響を及ぼす(大きな獣は餌である小動物をすべて捕まえるのに成功してしまったら飢えてしまうだろう――狩り手としての能力の開発において効率に欠けていることが、より高いレベルにおける効率として働いており、均衡を考慮する際には一方的な目的を考慮するだけでは足りない)。

 人間の限られた利益の考え方が、森林伐採、洪水、干魃、砂塵、進行する土地の浸食を伴うエコロジーの法則によって復讐を受けている。資本主義経済では、こうした趨勢は、国や連邦政府によって既に組織化されているような比較的些細な努力を伴った集団的支配が導入されることによってのみ止められよう。

 

バルカン諸国のいくつかの政府がナチス・ドイツと取り交わした約定に似たような矛盾を見てとることができる。例えば、ユーゴスラヴィアからドイツに農産物を輸出した個人は、ユーゴスラヴィアの通貨で支払いを受ける。そして、それに応じた額がドイツによるユーゴスラヴィア政府への貸し分として記入される。同様に、ドイツで生産された商品がユーゴスラヴィアに輸出されるときには、ドイツの通貨で支払いがされ、ユーゴスラヴィア財務省は同額をドイツ政府に貸し付けたものとする。ドイツの輸入はバルカン諸国への輸出を相当超過する傾向にあるので、多大な貸し付けがドイツに累積することになる。ドイツの商品の購買が増加し償却されるまでは、この貸借はバルカン政府にとって国家的な損失である。しかし、商品をドイツに売った個々人個人的な利益を上げている。輸出によって自国のマーケットでより高く売ることも可能になるので、国民全体とひきかえに、個人として利益はますます大きくなる。

 この矛盾は、結局、銀行家と共に、国の損失を代償に利益を得る特別な集団を生みだす結果となる。損失とは、例えば、バルカン政府は自由になる金銭が奪われる(それがあれば、例えば、同じ商品をイギリスやフランスの自由なマーケットに輸出できる)。金銭の代わりに、ベルリンに動かすことのできない借りを蓄積しているだけである。このようにある地域から金銭が引き上げられることで、他の貿易地もそれに応じて冷え込むことになる。そして、この冷え込みの過程は国家経済全体に拡がり、最初に利益を得ていた者もその冷えを感じ始めることになる。

 ドイツが兵器や軍需品を大量に出荷することで均衡を取り戻そうとしても大した助けにはならない。というのも、そうした物品は生産経済の外側にあるからである。大砲は、食料、家屋、鉄道設備などの貧弱な経済的模造品である。建設的な商品の大量の出荷だけが事態を緩和することができる。平和時の経済に必要なものに関する限り、ドイツが提案できるのは純粋に「精神的な」財産を出荷することで均衡をとることだけで、兵器を輸出することは、同量の鉄鋼を海に投げ捨てることで借りを清算しようと提案しているに等しい。

 (この注と出版までの短い間に、矛盾は明らかになり、いずれ破滅に向かうことが充分感じとれるようになった。)

 

*2:

*でたらめな海外投資は、一時的に評判を落とすが、通常それに代わるのは、通貨価値の意図的な下落であり、海外の投資家はより多くの金銭を得ることができ、それに応じて輸出が「刺激」される。それゆえ、資本主義の国々は、国際的な市場で自国の通貨の価値を下げる競争をしているのだと見ることができる。

 こうした価値下落は、国内では、(税金免除などの)誘いによって、ある地域が別の地域を犠牲にして工場の誘致を行なうような場合である。

*3:*歴史のどの時期をふり返っても、事業そのものの攻撃を正当化した例は見あたらない。事実、啓蒙主義の最良の収穫は、個人主義的表現が集団に関わる文脈から生まれたときになされると思われる。割合の問題は最も重要で考慮に値すると思われる。啓蒙は、文化的な目的にとって、最上の働きをし、重大な契機になる程度には強くなっているが、「新マルサス原理」の働きによって完全な分岐、官僚化に達するまでには至っていない。それゆえ、少数のための議論は多数のための議論ではない。同じような考察は、変化のない「解放的な」小さな島で最も価値のある街が、商業的な「大都市」になり、周縁の田園にも同じ基準を押しつけることができるようになった結果、「生態学的均衡」が破壊されてしまう現象にも適用される。

*4:

*我々が言っているのは、配分の不平等が根本的で組織化されている限り、それは生産工場(つまり「事業」)を個人所有にし、様々な再配分の穴埋めは周期的に導入することになろう、ということである。例えば、ローマ共和制では、所有権の再配分は、新たに征服した地域に軍隊を配備することから起こった。こうして、政府によって小さなローマ地主がつくられたあとには、利益の誘導が行なわれるまでに時間がかかり、所有が失われるようなこともあった。そして、別の地域の征服で同じ過程が再び始まり、新たな所有者が金融の独占的な法則によって自分の保持しているものを次第に奪い去られるようになるまで、このことは続いた。

 慈善的な再配分の穴埋めもあった。しかし、ローマは、常に、第一に土地と穀物のことを考えた。我々の近代的な、より「精神的な」財産の概念は、物よりも金銭に重点を置く。それゆえ、我々の時代では、物理的な財産を割り当てるよりも、税金とインフレの混合によって再配分をするのである(十九世紀における進歩的なインディアンの居留地は、ローマ的方法の我々による「平和的な」適用だったのだが)。生産物の分配より金銭の報酬を求めるとき、失業者は自分がいかに資本主義連隊の一兵卒として訓練されているかを示している。結局、彼らが要求しているのは自由になる賃金である。彼らは、「金銭を速やかに流通させる」ための「遊牧民的な」類の権利を求めているだけである。

 

事業の勃興に伴うロマン主義的「ファウスト的な」努力の概念は、封建的古典的な「均衡」の概念からの大きな進歩に違いなかった。他の多くの成員との調和のある配分によって発達していくという古典的な考え方とは対照的に、発達というのはある特性や性向の強化を意味するのだという考えを得た。それゆえ、規制されたり「抑えつけられる」と感じることはなくなった。自己主張に対して外的な抵抗はあるかもしれないが、「内的には」、望むだけのものを「自由に」欲した。それ以後は、過度の餓えによって歪められることが増えた。古い枠組みでは、そうした餓えを抑制しようとした――新たな枠組みでは、物質的な達成によってそれを具体化しようとするだけである。

 中国の寺院にある、「聖人たち」の集団を描いたレリーフの拓本を見たことがある。奇妙に歪んだ顔と風変わりに突き出した頭をして、どの聖人もグロテスクだった。そして、こうした「聖人たち」はその充分な表現が否定されていた文化的状況のなかでのビジネスマンの走りだったのではないかと思われた。資本主義的な体制で利用された「ファウスト的枠組み」を欠いていたので、彼らは「抑えつける」ことによってできるだけ餓えを抑制しようとしていた。彼らはそれで「上々」だと感じていたのだが、その努力が彼らをひどくねじ曲げ、身体をグロテスクに歪めてしまった。

 恐らく、欲求不満を感じていた才能ある人間は、「賢人」や「聖人」にでもならなければ、当時の規範を保ち、自己を抑制することができなかったのだろう。多分、一面的な効率を求める「ファウスト的」事業のロマンティシズムが広まった枠組みでは、彼らは「職業上の数字」だけを求め、迷いのない熱心さで、自分独自の性向を最大限に肥大させる方向に進むだろう。そのとき、こうした「専門家たち」は、より効率的に自分の特性を肥大化されることに注意を払えば払うほど、それを補償するように他の部分が萎縮するという悪循環にとらわれる。彼らには、俳優として「はまり役」ができるまではレパートリーがない。だが、二つだけ「超越的な役」がある。一つは過重労働の専門家で、もう一つは強いられた、あるいは意志的な怠惰の専門家である。