ブラッドリー『仮象と実在』 95

   ... (誤りの問題。それはジレンマを含む。)

 

 誤りは疑問の余地なく危険な主題であり、その主たる難点は次のようなものである。我々は一方において非存在と実在とのあいだにあるものを受け入れることはできず、他方においては、誤りは頑なにそのどちらであることをも拒むのである。しつこく第三の立場、どこにも存在しないように見えながら、どこかに場所をしめるという立場に止まろうとする。誤った現象には、実在ではないなにかが実在に帰されている。しかし、もし現象が実在でないなら、それは無であり、誤った現象ではない。他方において、もしそれが間違っているなら、何ものかではあるのだから、真の実在でなければならない。このジレンマは一見したところ解決不可能であるかに思える。或は、別の言葉で言えば、存在する現象はどこかに落ち着かなければならない。しかし、誤りは、虚偽であるので、絶対に属すことはできない。また、有限な主体に属すこともできず、というのも主体のすべての内容は絶対の外に出ることはできないからである。もしそれができたとしても、それは無でしかないだろう。かくして、誤りは住みかがなく、存在する場所がない。にもかかわらず、存在する。こうした理由から多くの疑問と難点をもたらすのである。