ブラッドリー『仮象と実在』 101
... [この可能なる解決は実在であるに違いない。]
いまのところこの解決を細部にわたって立証することはできず、許されてもいない。私が認め、主張したいと望む一つの説に止まっている。あらゆる誤りを取り上げて、全体に戻すことでそれがどう解消されるか示すことは不可能である。細部は別にしても、一般的に関係がどう吸収されるのかを理解するのも不可能である。しかし、他方において、私はこの解決が理解不能であったり、不可能であることを否定する。その可能性こそが我々の望むすべてである。というのも、絶対は調和のとれた体系で<なければならない>ということこそ我々の見てきたことだからである。我々はそれを一般的な形で認め、ここでは誤りという特殊な、否定的とされる例をとって考えてみた。我々の対立者は、誤りは調和を不可能にすると述べた。他方、我々は彼はそうした知識を持っているわけではないことを示した。誤りが自己を修正し、より高次の経験のなかに消え去ることが少なくとも可能であることを指摘した。もしそうなら、誤りが実際に吸収され、解決されることを肯定<しなければならない>。というのも、<可能>であること、我々が一般的な原則によって<であるに違いない>といわざるを得ないことは、確実にそうしたものとして<存在する>からである。