ブラッドリー『仮象と実在』 221

[知りうる限りの宇宙]

 

 全体としての宇宙は知りうるものであるといわれる。完璧な知性によって完全に知りうるものとされる。また、その性格によって取り上げられ、吸収されるので、世界のあらゆる要素は知りうるものである。(2)しかし、宇宙は完全に理解しうるという意味において知りうるものではない。また単なる知性から出発して、その詳細な姿を予期できるものでもない。というのも、知性の要求に応えるには、全体が補足し、その欠点を正さねばならないが、そうすると完璧な知性はその特殊な性格を失ってしまうからである。この結論は、事物のあらゆる側面に当てはまる。そのどれもが知りうるものではなく、知りうるものとなると、現にあるような存在であることをやめてしまうからである。それゆえ、世界の単一の側面は結局のところ説明することができず、説明された世界はその説明の結果ではない。我々はこの真理を思考と意志の例で検証した。思考はその特殊な働きが自明ではなく、またそれ自体に内在するものから派生したものでもその部分でもないので、知り得ないものである。同じ欠点は意志にも属している。私は意志の特殊なあり方を知的だと単にいうことはできない。それらは理解可能でもそれ自体明白でもなく、いかなる意味においても自明だとはいえない。それらは多かれ少なかれなじみのある発生物だが、それ自体に本質と正当性をもっているわけでは決してない。すでに見たように、その本質は外側から条件づけられたもので、それゆえ、どこにおいても部分的に異質なものにとどまる。全体を二つまたはそれ以上の要因で結合して説明しても、そのどれもが明白なもと受けとれず、その多様性がひとつになるなり方が細部において理解できないままであるなら、無駄である。