トマス・ド・クインシー『スタイル』5

 話し言葉の純粋な活き活きとした言葉づかいや日常的な英語は、あまり本に影響を受けていない教養ある女性に求められるべきだと我々は主張した。どんな言語においても、書物が話し言葉のスタイルとは異なる言葉づかいに向おうとするのは確かである。そこで、荘重な言葉や儀式ばった装いがよい趣味の原則として、こうした非慣習的な言葉づかいには要求される。だが、今日、自由な話し言葉が生きた言葉づかいとしては死に絶えようとしているのに、その恐れを正当化するような、書物の職業的な言語の方へなぜ文学は向おうとしているのだろうか。明らかな原因は、他の点でも不安を感じさせる現代生活のある現象にある。この時代のことを知りたいなら、我々は新聞を読まなければならない。新聞にこの時代のスタイルの原因を探さねばならない。七十年前、書物の実践を侵害し、作家のスタイルを型にはめる政治誌の傾向は、鋭敏な観察者であり、自身、どんな国にもいる風刺的スケッチと個人的歴史のみごとな書き手の一人によって気づかれていた。既に一七七〇年以前、晩年のオーフィールド卿やホレス・ウォルポールは、スタイルの洗練について問われると「スタイルがお望みだって。スタイルなら新聞にいって探したまえ」と答えるのが常だった。これは半ば軽蔑的に半ば真面目に言われている。だが、この悪影響は今では圧倒せんばかりになっている。あるロンドンの朝刊紙は——半世紀の間に、夕食のナプキンから朝食のテーブルクロスに、カーペットから、事業の拡大によってじきにはフリゲート艦の帆ほどの大きさになろうというものだが——既に大きな八折判に等しい印刷量がある。この国の老婦人はみな特大の八折判にまとめられた寄せ集めを毎日読んでいる。取り交わされる知識の性質について言えば、このことの悪影響を逃れるすべはない。新聞は、その全体として扱いにくい範囲のなかで、毎日の記事を作らねばならない。そこにはスタイルの変化を予想させるようなものはない。このことの、その時代のスタイルに与える悪影響は二つの形で言うことができる。第一に、あらゆる人間にとって、自然な衝動とは生きた言葉を無理なく使うことにある。書物の言葉は二次的な技能によるもので、努力なしにはつくり上げることはできない。ところが、毎日新聞記事を書くものは、書物の職業的な言葉づかいをしており、それを、より私的な言葉の長所でもって激しく抵抗しようとはしない読者の元に送り届ける。道を通っているとき、りんご売りの老女が「あなたのご親切が<私のために>なりましょう」などというのを聞けば、恥ずかしさで内気な馬のようになった時が、bos loquebaturに出会った老ローマ人のような恐怖でもってそこから走り去った時が我々の記憶のなかにはある。現在では、その驚きは当然のこととして受け取られてしまう。書物の人工的な言葉づかいが日常生活のなかに入り込んでいる。これがジャーナリズムによって我々のスタイルに及ぼされた悪影響の一つの形である。極度に単調な本の言葉が生気ある自由な表現を癩や象皮病のように鱗状のもので覆い、こわばらせ、しなやかな肉体の自然な衝動を覆い隠し、縛り上げるのである。もう一つの、より悪い影響は、広く行なわれている文の構造にある。何か書いた経験のある者なら誰でも知っていることだが、たっぷりの話題を急いで書きつけるときには広漠たる文、節のなかに節が含まれ、それが無限に続くような文に自然になってしまう。この巨大な円環と周転円の束を、長文と短文とが混ざり合い、その各々が他方を修飾していて、その自然な結びつきによって音楽的な効果をあげるような優美な文の連なりにするのはなんと困難で、いかに多くの労力を必要とするだろうか。いま、この複合的な挿入で膨れ上がり、議員法を特徴づけた形式のまったくの繰り返しである怪物めいた文章が新聞には行き渡っている。ある考えを一定の手続きによって発展させるのではなく、文章の原材料や記憶メモといった生硬で未消化な文というのがジャーナリズムに浸透しているに<違いない>文章の性質である。才能の欠如ではなく——それは才能の働きが最も重要なものとされた貴族の時代の話である——瞬間的な出来事に急いですぐさま対応しなければならず、意見を見直したり考えを修正したりすることが許されないのが出版業の飛ぶような忙しさにつきものの悪影響である。

 

 文章の構造や長文でのもつれは、書くことをしない者たちの間の会話ではほとんど認められない。だが、言葉づかいの選択は、そうした影響を被っている者の会話には当然容易に反映する。この書物による毒がどの程度まで拡がっているのか、革命がこようとそうまで人工的にはなりそうにない人々にまでいかに深くそうした表現の習慣があるかについて、経験のうちから一つの例を報告しよう。八年ばかり前、テムズ川南の新しくできたロンドン郊外の住宅地に借家を探しに行く機会があった。その家の女主人は(その人柄については、彼女は最も悪い意味での低俗な婦人だったとしか言いようがない。つまり、単に粗野なばかりでなく——そんなことは彼女の住まいから予想できた——道徳的に低俗だということであって、それは詐欺に対する彼女の入り組んだ用心にあらわれており、確かに大都市においてその危険は十分に考えられるものではあるが、我々にこれ見よがしにしつこく押しつける類いのものではない)新聞の教え子として日々訓練を受けているようだった。彼女には子供がなく、新聞こそ彼女の子だった。ここに彼女の勉強の、朝から晩まで従事した仕事の成果がある。以下にあげるのは、我々とのほんの僅かな時間に半分野蛮人たる彼女のその豊饒たる言葉で、この会話はその唐突さによって我々の神経を苛立たせるだけだった。聞いて一時間のうちに書き留められ、公平な目で見直すだけの時間をとったその言葉とは、第一に「カテゴリー」、第二に「範疇」(つまり、ギリシャとローマの観念を二様に繰り返しているわけで、この老婆は「二重に武装」しているのである)、第三に「個体性」、第四に「遷延」、第五に、「外交的に言って、<委託>を望みたくはありません」、誰がそれを「不注意にも彼女は夫と<妥協>してしまった」ことなのだとわかろう。第六に、「相互的な関心の適応化のために自発的に幾つかの様態を採用する」など、最後に(この言葉は我々を打ちのめした。我々はそれを三階の上まで辿り着いたときに聞いたのだが、それ以上本能に逆らうことなく、踵を返し、四十五段の階段を駆け下り、怒りに任せて家を飛び出したので太って腹の出た紳士にぶつかり、互いに詫び合うことになったのである。それは鋼鉄のネクタイや年とった女性の口髭のように説明の<つかない>ものだった。その決定的な言葉とは)、第七に、「論理的に先行して」。我々が厳粛に証言供述した言葉は、この忌まわしい婦人と滅多にない会話をするまでは、男性からも女性からも書物からもかつて聞いたことのないものだった。こうした言葉でも、大目にみることができる場合もあった。階段の窓から家の裏に大きな納屋が見えた。我々の家の近くにある「工場」のような感じがした。「あれはなに」と我々は尋ねた。答え。「納屋、ある通りのもので、<即ち>納屋です。納屋の存在に論理的に先行していたのは——」。我々の神経発作によってそれ以上の会話は不可能だったので、その後<なにが>言われたのかは闇のなかである。だが、この事例がどんな僅かな慰めの種さえもないのは、神経組織を揺り動かすような、絵に描いたような<見当違い>がまったく欠けているためである。実際、<彼女の>病が完全無欠であり、<我々の>苦難が無比なものであるのは、彼女の言葉やそれを結びつける文章には非難の余地のない正確さが認められるからである。

 

 さて、この国の古くからの日常語が、この例に見られるように失われてしまっているなら、もしジャーナリズムのもたらす結果が<全体的なもの>であり、粗野な文字に馴染みのない女性が「この納屋が立つ前にはあれこれのものが建っていました」と言う代わりに、当然のことのように「この納屋の存在に論理的に先行していたのは」等と言うことになるのだとすれば、そのことが我々の文学におよぼす最終的な影響とはなんだろうか。考えの型、表現の一般的な傾向として行き渡っているペダントリー、無意識のペダントリーは、文章の自然な優美さをこわばらせ、人間の思考の自由な運動に枷をはめてしまう。このことは、結果的に、我々のもつ過去の素晴らしい文学を楽しむ力、そうした文学を将来生み出す力を妨げてしまう。こうした傾向は、我々のうちにあまりに長く働いているので、既に幾つかの場所において悪い影響をもたらしている。既に述べたように、文学とは離れて生活し、新聞から知的滋養をもっぱらに受けているわけではない教養ある女性たちは、この致命的な悪影響を部分的に食い止めている。この時代特有の悪影響のなかで生き、現在の状況を見守っている個人のなかには、この害毒に対してより組織的な抵抗をしている者たちがいる。だが、大きな悪というのは、それに我々も関わっているので、それによってもたらされた、もたらされている変化がどれほどの広がりをもっているか見ることができない。<時勢は変わる>。当然、異邦人の中立な眼でそれを見ることができても、変化の広がりを見ることはできない。だが我々の眼は中立<ではない>。我々も変化に与っている。<そして我々もそれとともに変わる>。そしてこの事実は、そうした変化を正しく認識することを妨げる。六十年前であったなら我々はみな、ある種のスタイルの一般的調子、色合いは不自然で、書斎的、衒学的だと感じただろうが、いまでは慣れてしまって、自然で、学問的なものとして当然のように感じている。直接的な対象の性質は比較によって測りやすい。だが、この外的な性質を我々がはかりとして用いる主観的、内的な性質と結びつけねばならないときに困難が始まる。つまり、ある距離のものを見るとき、それを調べる眼そのものに変化や妨害があるかもしれない。眼は自分自身を見ることはできない。我々は自らを自らの前に投げ出して、熟慮を対象として熟慮することはできないし、評価する力を評価することはできない。従って、スタイルに対する批判的考察にも変更やしだいに加わってくる歪みがあって、我々はそれを見越しておくことはできない。そして、こうした偏向は、我々が容易に使用することができないようなスタイルの変化には無意識のうちに眼を閉ざしてしまうことにもなろう。

 

 我々の言葉から慣用語のもつ新鮮さが失われていったのはここ一世紀にわたる変化だが、この時代の別の特徴ある欠点は、文の構造が膨れあがり、しかも規則性がないことである。一方の変化は、部分的には他方の変化から生じている。ラテン的で人工的な術語を用いれば、書物に奉げるといった表現形式をとれば、そして「osityやationを最後につけた長々しい語」を用いれば、労なくして学者っぽい雰囲気をだすことができるとはいうものの——そしてこうした者は人工的な用語を好むことで普通とは違った文章が書けると感じ、その語を文や節に纏め上げる規則を無視する資格もあると思っているか、あるいはラテン的術語とラテン語の文章構造とに自然な共鳴があると感じている——確かでもあり顕著でもあるのは、そのスタイル、語や文の配列といった表面的な意味におけるスタイルで、両立するはずがないと考えられている二つの欠点が働いていることである。つまり、人工的、ラテン語の力を借りて人工的でありながら、同時に注意力が散漫で秩序がない。ラテン語でinconditusと表現されるようなもの、つまり<反組織的>というよりも<未組織的>なものがある。この人工的な偏向があるにもかかわらず、その言葉つきは新聞のスタイルを最もよく特徴づけている。組織化が可能だということは、その時代は既に洗練され人工的であるに違いない。組織化が受け入れられないのは、大袈裟に言えば無頓着な時代なのである。