トマス・ド・クインシー『スタイル』24
かくして我々は目的に達する。この二人の中心人物ペリクレスとマケドニアのアレキサンダー(ユダヤ予言者の「力強い雄山羊」)を忘れたふりができる者はいない。二つの異なった、しかし隣り合う世紀のこの二つの<焦点>の周囲にギリシャ知性の綺羅星、銀河、神々が集合した。恐るべき荘厳さをもつ悲劇、奔放な陽気さと空想に満ちた喜劇、力強い雄弁、智慧のある哲学、ギリシャのすべてがここに生まれた。このときから、その芸術、彫刻、建築、絵画、音楽の繁栄が二十四世紀に渡って我々の耳に鳴り響いている。端的に言えばいまだ培養期間にあってより以上の発展を待っていた数学を除けば、すべてが隣り合う二つの太陽系にあった。二つの強力な渦巻き、ペリクレスとアレキサンダー大王が、ギリシャ文学、ギリシャの雄弁、ギリシャの智慧、ギリシャ芸術の力ある渦を引き寄せた。次に、二つの天体の間の関係をより正確に探るために、両者の時系列に占める<位置>を確かめよう。それは人間の天才の動き、振幅の正確な見取り図を描くのに必要な別の要素をもたらしてくれるだろう。ペリクレスは非常に長く政治に携わっていた。彼はまるまる一世代の間アテネの執政官だった。彼は紀元前四二九年に死んだが、それはペロポンネソス戦争の最初期で、この戦争はギリシャで唯一の国内戦争で、僻地に至る<隅々にまで>影響を与えずにおかなかった。さて、ペリクレスの長い公的生活のなかで、そのどの年に注目しようと我々は自由である。諸々の理由から、それをここで言うことはしないが、紀元前四四四年に注目する。これだけ目立つと忘れることはできない。<四,四,四>、カードゲームで言うところの「<プリアル>」(<パリアル>の最初の母音aが省略されているのだと思われる)で、誰にも忘れることのできない一時代を形づくっている。ペリクレスの死の十五年前で、政治生活の中程である。さて、もう一つの天体、アレキサンダーの<位置>も一度示されれば目立ち、滅多に忘れることのできないものであるが、その時期がより決定しやすいのは、選択の幅が狭いからである。アレキサンダー大王の正確な年代的位置は紀元前三三三年である。この偉人の経歴が短かったことは誰でも知っており、紀元前三二〇年に終わった。その公的世活での<驚異の年>、東征でもっとも効果があり生産的な年が紀元前三三三年である。こうして、<もし間違えないで正しくすれば>、我々はアレキサンダーの<位置>でもう一つの「<プリアル>」、三のプリアルを手に入れる。
このように諸要素が確定され、この年代において二つの偉大な天体系でギリシャ文学が拡散し、行き渡っていった。四四四年と三三三年が二つの系の中心となる年である。二つの<位置>の間には一一一年があるということになる。寒く凍えるような夜、天高く休むことなく瞬き続ける星々は不注意に脱穀場に撒き散らされた種子のように思われるものだが、砂漠の広大に広がる空に手の届くかと思われる程近くに現われる
「夢のような星の一群」
は実はある帯あるいは<層>ごとに集められている。いたずらで小さな地球は(太陽系全体と共に)こうした帯の、完全な幾何学をもつ天上、力強い環の一部であり、それは観るものが真の中心に立たない限り明らかにならないが、その中心とはあまりに遠く、どんな装備をしてもたどり着くことはできない。しかしながら、そうであっても、混然と思われるものに<アプリオリ>な組織化の原理を適用することができるなら、混乱としか思えないもののうちに秩序ある配列を見抜くのに役立とう。ギリシャ文学の二つの渦はいま分けられ、その中心の年代上の<位置>は決まった。そして次に読者に十分に考えてもらいたいのは、その体系をつくりあげたのは<誰か>ということである。
既に説明したように中心にいるのはペリクレス、偉大な実務的政治家で、その雄弁(稲妻のように群衆に行き渡るもの)はなにか個人的な権限によってユピテルの力をもっているのではないかと言われる程のものだった。我々はミルトンが『楽園再訪』でこうした雄弁家を「力強い民主主義を自在に使いこなし」と見事に描いた一節を引用するのを差し控えるが、それはその最後の部分が「<マケドニア>とアルタクセルクセスの王座に」と多くの点でデモステネスの賛辞になっているためもあるし、つまらないことで素晴らしい一節を繰り返すことは偉大な詩人を傷つけることになるかもしれないからである。偉大な音楽的効果をもち、韻律を見事に繰り返すことはそれを通俗化することにしかならない。皇帝アウグスツスがne nomen suum obsolefieret(注1)と、彼の名の威厳が劣悪な詩人によって俗悪化しないように配慮したことは、今日偉大な詩人たちに対してより真剣に必要とされることで、あまりに細かな繰り返しでしかない引用から彼らを守らねばならないのである。
*1:(注1)この奇妙な仕事のもっとも奇妙な特徴は、アウグスツスが劣悪な詩人への罰を警察に任せていることである。だが、警察が良い詩と悪い詩を見分けることができるかどうかについては説明されていない。詩人たちは校閲者たちの宣言に気弱な心で驚いたに違いない。四季裁判所の判事の前に座っているようなもので、多分判決も同じような言葉でなされたのだろう。オードはもしあまりに好戦的なものであれば平和を侵害するものとして扱われる。叙事詩人には続く二年の間正しい行いをする保証が求められる。皇帝の結婚の祝歌の作者には、「内密にさっとつくり、さっとだす」ことが命じられる。<市民>を導き、民衆的な習俗やその虚飾を示そうとする者ではことはより特殊なものとなる。権力の人にねたまれるような外観ではなく、権力そのものが生涯の対象だからである。オヴィディウスはこの不整合に気づいていて、ユピテルでさえ賛辞されることを厭うどころではなかったと思い起こしている。