トマス・ド・クインシー『スタイル』29

第四部

 

 「<これだけのことがあって、ではその実際の帰結はどうだったろうか。>」この言葉で前の部は終わった。ギリシャ知性のあらわれ、顕現は二つの異なった形で現われる。最初のものは紀元前四四四年ペリクレスの周囲に集まり、第二のものは紀元前三三三年アレキサンダー大王の周囲に集まった。最初のものは純粋な創造力の文学であり、第二のものは反省的な力がずっと強い。最初のときにはスタイルの差異化がなされ、第二のときにはそれが観察され分類され議論された。こうした好条件のもとその結果はどうだっただろうか。スタイルが実践あるいは技芸の強い色合いのもと存在するところでは、そのスタイルがじきに理論に、その技芸を説明し、その種類を敷衍し、規則を教える科学に従うことになると予想するのは道理にあったことである。古くからの区別を用いると「<有用な修辞>」の開拓に顕著な成功を見たところでは(初期ギリシャのように)、「<教育的修辞>」に多くの結果が期待されるのも当然である。特に理論化に適した知性が強く目覚めているような場合にはなおさらである。それでは、再び問うが、実際の帰結はどうだったのだろうか。

 

 我々が当然のこととして期待する標準値よりは遙かに下回るものだと知らされねばならぬことになる。ギリシャが修辞学についての著作を長い間に渡って生み出してきたことは真実で、その多くは容易に出会えはしないが(注1)、今日に残っている。時間的に最初に来るのがアリストテレスの偉大な著作で、特別な長所があるので、優れた現代人も心理学的な点から見てそれが異教文学が我々に残した最上の遺贈であることをためらいなく認めている。広く比較してみずともこの作品があらわしている視野の広い才能はすぐ認められる。だが、「修辞学」という語の曖昧な使用法のもと、アリストテレスの『修辞学』はスタイルを扱った本として分類された。実際、修辞という語には複雑な意味がある。第一に、<有用な修辞>で、セネカやサー・トマス・ブラウンの修辞を、それが教える意味ではなく実践において、伝えられる教義ではなく使われている文章のあり方を賞賛するときに意味されるものである。第二に、教育的修辞で、アリストテレスやヘルモゲネスの修辞、自らの文章のスタイルは修辞的というには遠いが、他者に修辞とはなにかを専門的に教える作家たちを賞賛するときに意味されるものである。第三には有用な修辞が更に二つの意味に分けられ、その相違があまりに大きいので互いにほとんど関係がない程である。一つは説得の技術で、聴衆の好みがどうだろうとある意見を勧めるために最もらしい話題を巧妙に使うことである(これが一般的なギリシャでの意味である)。もう一つは文章作成の技術で、ある題材を装飾的に、優雅に、感動的に扱う技術である。修辞という語にはまだ違った意味があり、意識されていないと思われるが、それはまた別の機会にしよう。

 

*1

*1:(注1)「容易に出会えない」──ドイツでその八、九冊が出版されたのを見たことがある。だが、我々の書誌に記されている限りでは、かつて一度そのすべてがまとめて出版されたことがある。三世紀以上前、ヴェネチアのアルディン出版からである。これほど長い期間に滅多に出版もされないことからもいまの学者がギリシャ文学のこの部分に不案内なのが十分に説明される。