トマス・ド・クインシー『スタイル』30

 さて、修辞という語の最後の区分、「実用的な技術としての修辞rhetorica utens──現在の用法ではもっぱらこの意味だけになってしまっているが──はアリストテレスの修辞学ではまったく扱われていないものである。道徳的説得、虚偽にもっともらしさを与え、疑わしいことにありそうな色合いをつけ、納得のできる仕方で曖昧なものに真らしさを加える技術的体系としての修辞学、それがアリストテレスが教えようとしたもので、装飾的文章の技術はまったく扱っていない。実際、彼が書いているのは<即興的に>語る公的な語り手のためであり、じっくりと時間をかける書き手に向けてではない。それ故、この偉人の修辞学が要求する栄誉をすべて認めてもいいが、修辞学ということで意味されていることの相違から、我々は我々の一般的命題を変える必要は全くない。つまり、文章作成の理論、文章を組み立て、それを縒り合わせて整合性のある全体をつくりあげるという現代的な意味でのスタイルはギリシャ人の間では結局深められることはなかったということである。後のローマ人の間でもこの異なった完成をもつ修辞はよく理解されなかったし、十分考慮されることもなかった。<一見したところでは>、正反対の結果がでてもおかしくない状況でこうしたことになったのは注目すべきことである。考慮に値することなのでいましばらくギリシャ文学、その多くが修辞的完成において我々の期待を裏切らないギリシャ文学にとどまることをお許し願いたい。というのも、この期待を裏切らない特徴が他の特徴と結びつくと失望の種になることがあるからである。

 

 ギリシャ文学の最初期、その始まりを見るとスタイルについての鋭敏な探求がなされたと推定される。三人の偉大な悲劇詩人のうちの二人までがそのスタイルの特徴的な性質をある種病的な過剰までもっていったという事実があるが、この過剰は民衆の注視のなかで強いられたものである。この詩人たちがみなソフォクレスに見いだされるような悲劇のスタイルと同じものを維持したなら、一般的な注意を向けられることはなかったろう。ある一つのものの基準が立派なものに引き上げられても、すべてが同じ度合いで同時に引き上げられれば、衣服、建築、部屋の装飾などの様々な経験から明らかなように基準があがったことは生き生きと感じられず、見る者の感情はじきにその調和を変えてもかまわない気になってしまう。整合性が欠けたり、規模において欠点があるときには常に現在とそれ以前の基準の相違について意識的な観察が高まることになる。すべてが対称的であるときには相違が過小評価され、そうでないときには過大視される。それ故、アイスキュロスエウリピデスの正反対の特徴はアテネ民衆の注意を引かずにはおらなかったと予想される。実際、この詩人たちについてのギリシャの注釈者にその影響が見て取れる。これら注釈者は後の時代に属している。我々が彼らの守る伝統、そして偉大な悲劇詩人たちの直接の後継者であるアリストテレスから知るのは(間接的にはこれら詩人たちの同時代人と見られているアリストファネスの猛烈な冷やかしによっても知るが)、アイスキュロスはその言葉の荘厳、華麗、そびえ立つような性格において著名であり、エウリピデスはより一般的で、家庭的、自然であり、洗練においては劣るがそればかりではなく、研究し、じっくりと考え抜いた言葉を使うことでも著名だった。こうした対称的なスタイルの偉大な範例が最初にあり、アリストファネスのすさまじいお祭り騒ぎにその相違が収束されるのだが、ギリシャ人がこの人と人との、詩人と詩人との大きな相違を受けてスタイルの探求に乗り出してもおかしくはない。

 

 それに、我々がギリシャにスタイルについての完璧な理論を期待するに十分な、より積極的な理由がある。時と場所との偶然によりギリシャはその思想のほとんどを蜘蛛のように自らの内部から出るもので紡いだ。さて、こうした種類の文学にとって、スタイルは、一般的に言って最優先のものであり、自らの力で発展していかない文学では、スタイルはより無視されがちである。現代の国家はまったく正反対の欠点のもと働いている。外的な材料の過剰は時に創造力、時に瞑想力を抑圧する。<客観的>知識のあふれるばかりの豊かさ──この知識は精神を自分自身<以外の>ものに向かわせ自然哲学、化学、生理学、天文学のような精神にはほとんど向かわず外的対象に多く向かわせる──は人間を主観的な思索から引き離し、そこでは精神は全体として無に近しい異質なもので、またその度合いに応じてスタイルの文化からも引き離されるのである。さて、他方、スパンダウにいるトレンク男爵、ジュアン・フェルナンデスでロビンソン・クルーソーの立場にいるスピノザ、独房にいる十三世紀の瞑想的な僧を仮定してみれば──活力が全くないために迷宮の道筋の順列組み合わせを辿ることができないクーパーによるバスティーユの囚人のような哀れで臆病な者でないならば──それは外的世界から離れるというよりも自らをむしばむ考えから身を守り、<主観的な>科学を開拓しているに違いないのである。つまり、精神そのものからすべてを引き出したいくつかの知識の支脈は外的なものから独立している。そうした科学は人間と神との関係に見いだされると神学であり、空間の確定に見いだされると幾何学、人間精神に存在し普遍的なものの諸関係に見いだされると形而上学存在論と呼ばれ、精神のそれ自身との関わりに見いだされると論理学と呼ばれる。かくして、スコラ哲学は蜘蛛の巣のように一一〇〇年から一四〇〇年の間に発達した。学者たちの教育を受け、余暇に満ちた生涯を送る孤独な人間が、しかしほとんど本もなく観察の手段もないとなると、行き所のないエネルギーから狂気におちいるのを避けようとするなら、まさにそのエネルギーから対象を創造するほかない。彼らは単に孤独による圧迫によって、そして時に永遠に続く沈黙に強いられて、つかみ所のない形而上学の広大なヤコブの階段を登ることになるのだが、それは専門的にそう名づけられた気象現象と同じように果てしなく、その上方へ向かう傾向において崇高でありそびえ立つもので、時に(常にではない)非現実的である。現在の実際的で一考の価値のある世界では、我々はこうした抽象を理解することも価値を認めることもほとんどできず、かつて我々英国の学者はその繊細さにおいて先陣を切っていたのだが、その本来の性質と名称とを混同するに至っている。ほとんどのものは形而上学と言うことによって正しくは心理学と呼ばれるものを意味している。この二つは同じであることはからほど遠いもので、前者は(実は本当のところを言うとアリストテレスにより創造されたのだが)僧侶により月の光しかない家具一つない独房で探求されたものだった。心理学は部分的には主観的科学だが、ある割合においては<客観的な>ものでもあり、多数の経験、あるいは経験の記録に依存している。それ故、心理学は学者たちが広範囲に渡り開拓することが<できなかった>し、実際、アリストテレスという先行者以外にはまったく踏み込まれていない。彼は形而上学の基礎を敷き、そこでは人間に関することはまったく扱われなかったが、人間に関する作品──つまり、人間の魂について──も書いており、その他特殊な心理現象(夢のような)についての小品がある。かくして、学者の間でこれを模倣し、心理学の短い素描が出されることはあった。それ以外について<彼ら>の使命は月の光と戯れることのできる科学、つまり形而上学にあった。そしてこの使命というのはまったく彼らのいる環境、孤独と研究と本がないということからきている。そこには客観的材料がまったく欠けており、不可避的な帰結として自らの精神の孤独なエネルギーに頼らざるを得ない。クリスタベルの部屋のランプのように、宙に浮かぶ天使のように、すべては他になにもない芸術家の発明であり、

「すべてが彫刻者の脳からつくりだされたもの」

なのである。印刷本はいまだ未来の存在として眠っているので彼の前にはなんの範例もなく、大きな禁欲主義の門が生の世界を閉め出していた。実際、我々現代人はローマ教会──教皇の自己防衛本能──こそがこの非現実的な哲学に欠かせない賜物だと思っている。部分的には真実である。しかし、この世界で賜物が効果的に働くことなどないということもまた確かであり、僧院の静謐な生活という状況がなかったならば、こうした形而上学的な神性が自ら繭を紡ぐことなどなかった。僧院生活は人間知性をその方向に休みなく駆り立てた。それは、孤独と本がないことに両立できるほんの僅かな方向の一つだった。思想の新しさと自由の道を同時に開ける唯一のものだった。そして、学者の僧院生活と哲学の関係が、まさしくペリクレスギリシャと文学との関係と同じものなのである。独房の僧侶を取り巻く環境、そこでなされる鍛錬、その影響と傾向と同じもの(あるいは同等のもの)がアテネを取り巻くギリシャ精神に存在した。三つの大きな動因が働いており、無意識のうちにではあるが十字軍発端からその結末以後に至るまでの学者の努力を形づくっていた。同じような三つの動因が、同じ美点をもちながら状況は変えて、ギリシャ文学の始まりにあたるペリクレスから第二の収穫を目撃したマケドニアアレキサンダーに至るギリシャ人に衝撃と導きを与えていた。これらの動因とは、第一に、過度に余暇があり、あふれんばかりの知性があること。新たな刺激が生まれたときに、なにかしなければならないことがないこと。第二に、まったくの欠乏ではないが本が少ないこと。眠っている渇望を呼び覚ますには十分だが、知的創造の努力に個人として参加することなしには満足できない程度であること。第三に、最近新たに生じてきた公的関心事によって革命が起きんばかりに不安定であること。