佐藤春夫「円光」

 1914年の短編。ある画家が若く美しい妻をめとり、一家を構えることになった。ある日、見知らぬ人物から手紙を受け取る、どうやら妻が以前付き合っていた男であるらしい。妻に聞いてみると、ええ、知ってる人だわ、愛し愛された人です、だって「あたしは世の中の人を皆すきですもの」と底意なくいってしまうような女なのだった。相手の男からは、家庭をどうこうするつもりはないから、彼女の絵を一枚描いてくれとのことである。そこで妻を描き送った。すると、手紙が来てこうある。大分忠実には描けているが、なぜ彼女の頭を包む円光がないのかと憤った様子、画家はなにがなんだかわからず、気違いか、もしかしたら詩人なのかと思って、隣部屋の妻に、彼は詩人だったのかいと尋ねると、「いゝえ、確か批評家だつたと思ひますわ。」

 

 しゃれた短編で佐藤春夫が詩人がから出発したことを考え合わせると、複雑な味わいがある。女を女神にするのは詩人=画家に思えるのだが、そこにアウラを見いだすのは批評家なのだということ、あるいは描写によっては見られることのないアウラを付加して概念化してしまうのが批評家なのだと両様に読める。