ケネス・バーク『歴史への姿勢』 14

否定的強調:エレジーあるいは哀歌

 

 ここでも明瞭な区別を維持することはできない。例えば、ウイリアム・ジェイムズはショーペンハウアーは自分のペシミズムに満足していると不満をもらした。彼は自分が吠えかかることのできるような世界を欲したのである。一度人間が不平の技術を完成させると、彼は哀しみのうちにある方が居心地が良くなることは間違いない。彼は装備を発達させ、彼の性格は不平が言える状況によって最も高められることになる。それがなければ、彼は崩壊するか生れ変わるかしかない。子供は「泣くことによって復讐する」ことを学ぶとアウグスティヌスは言ったが、それを大人が使用できるように完成させると、その者は、逆説的にも、生の「拒絶」をシンボル化しているときにも生を「受け入れる」方法を見つけたのだと言うことができる。こうした場合、「受容」は「受動性」と非常に近い。エレジー、「嘆き悲しむことによる壁」は戦いの責務から逃れる個人的策略ともなりうる――しかし、それが集団的運動にまで組織化されると、ある種の人々がそれを「働かせ」、その姿勢が物理的限界に達するまで、不平の種が見つかれば見つかっただけそれを利用することになろう。ユーモアと同じように、それは状況を厳格に測ろうとしない枠組みである。その呪縛にある者は、自分の手持ちを正確に測ろうとはしない――ユーモアとは対照的に、自己の弱さと状況の重大さの不均衡を更に広げるのである。*

 

 

*1

 

 I.A.リチャーズの『文芸批評の諸原理』とキャロライン・スパージョンの『シェイクスピアの形象』と並んで現代イギリスの文芸批評に最も重要な貢献をしたのが『牧歌の諸変奏』で、ウイリアム・エンプソンは「牧歌」を定義し、英雄という重要な構成要素でもって我々のユーモアとエレジーのカテゴリーを縦断する視線をもたらした。グレイの「墓畔の哀歌」、『乞食オペラ』、『農夫ピアーズの夢』、『不思議の国のアリス』はすべて「牧歌」という観点から分析される。英雄的な仕掛けは、逆説的にも、慎ましい人々を共感をもって扱うことで働く(異教的なパルシヴァル伝説のキリスト教による価値転換のようなもので、そこでは「愚者」が「聖人」になる)。革命的な「最初が最後で、最後が最初」という逆説によって、身分の卑しいものが真の高貴さをもつものとして描かれる。子供、愚者、犯罪者、浮浪者、田舎者が、エンプソンが哀れな農夫ピアーズについて言うように、「ゆっくりとキリストである支配者に変わっていく」。

 

 エンプソンの「イロニー的慎ましさ」についての言及は、特に我々の目的に適っている。

 

 「イロニー的慎ましさのもっとも単純な作戦は、『私は賢くなく、無教養で、良い生まれでもない』等々と(あなたがそうした判断基準をもっているかのように)言うことで始まり、それによって、あなたの判断基準はあまりにも高くつつましやかな我々のような存在は眼中に入らないでしょう、と言おうとする。これには牧歌との愉快な相似がある。重要な人間が卑しい者たちの間に交じると、その結果彼の標準価値は上がり、下がることはない。」

 

 これが「紳士の」巧妙な自慢である。長いことつらい練習を積み、熟練者となり、相手には紛れもなく初心者だと言う――そこで始めると、相手は打ち負かされるのである。相手が勝ったとしても、それはまたそれでいいわけである。*

 

*2

 

 グレイが花について述べている個所

 

 

            目にとまることのない赤らみをもって生まれ

     その芳香を砂漠の空気に浪費する

 

 

この個所についてのエンプソンの分析は、イギリスに勃興する工業的、商業的ものの考え方と成功主義的哲学に直面した詩人が、才能のいかしどころを見いだせない人間に断念を、自分自身の良い性質を感じとるよう勧める仕方をあらわにしている。これは、初期の『曖昧の七つの型』の心理学主義の枠組みを壊したことにエンプソンの美点を認めるとともに、専門的なマルクス主義者のほとんどが発見することのできなかったある種の「マルクス主義批評」である。

*1:

*哀歌の防御には、「ホメオパシー」の要素が、その字義通りの意味において含まれていると言える。僅かな不幸を文体にくるんで服用し続けることで、大きな不幸に対する許容量を増やそうとしているわけである。ホメオパシーとアロパシー【逆症療法】との大きな相違は、健康を「指導する」人間が「人生でこれほど健康を感じたことはない」(「アロパシー」)という場合と、同じように健康であるが、「物事があるべきようになりさえすれば健康に感じる」と譲歩することで自分を「防御」しようとする場合の言い方の違いとしてあらわすことができる。

 

 

 「アロパシー」の言い方は危険からの脅威に対して、保証という解毒剤で向かい合う――それゆえ、解毒作用が強ければ強いほどよい。「ホメオパシー」のスタイルは、むしろ、危険の正面からの攻撃を受け止めるべきではなく、それとつき合っていくべきだという感情に基づいている。ベンジャミン・フランクリンの避雷針は稲妻に対する「ホメオパシー療法」であり、危険を除去(支配することによって)しようというよりは危険を弱めよう(その向かう方向を支配することで)としている。

 

 

 その中間にスタイル上の予防の領域があり、その最も単純な形は、流行している病気について話しているとき、「でもこれまでは私たち家族は誰もかかっていない」と言うような場合で、言葉通りの場合もあるし、自分のしゃべっていることについている但し書きに気づいていないこともあるが、彼らはそれでもっておまじないをしている。彼らは、「おごる者は久しからず」という本質的に「ホメオパシー」的な感情、「防衛的な謙虚さ」を誘うような感情に対応している。だが、彼らのおまじないは「アロパシー」的な解毒剤、危険の脅威に真っ向から対立する呪文になりがちである。

 

 

 危険が除去できる範囲であるとき、ホメオパシーのスタイルは、いまの状況にふさわしくないものとして「心理学的に採用されない」傾向にある。危険が除去できない限りにおいて、アロパシー的解毒剤では負担が重すぎ、本体が破壊されてしまうというような場合に用いられる。

 

 

 西欧の楽観主義は、公的にはブルジョア教会風のスタイル(ホメオパシー的に「貧者の繁栄」に基づいている)に対する攻撃に始まったが、アロパシー的衛生学の発達のなか、目を見張るような形で直接的なものとなった。変化は革命的姿勢の合理化に大きく関わっており、それが不幸な状況におり早くから不平を言い始めていた人々を刺激した。特にアメリカは、成功が規範とされており、商品の獲得に邪魔が入ると直接的な憤慨を引き起こす(「商品の獲得の正当性」は生産分配の機構そのものに織り込まれているという事実がこの対応をより刺激する)。それゆえ、我が国の「良心的な」事業主は基本的な矛盾に対面している。商売と広告に基づいた構造を打ち立てるためには、彼らは宗教への回帰を指導することとなろう。「経済の豊かさ」が自らの規範を維持することができないとき、彼らは「貧者の繁栄」を取り戻すことで、「たるみを引き締める」こととなろう。彼らはある説得力をもって教会のホメオパシーを推薦することになるが、それというのも、不幸、哀しみ、欲求不満、死が根絶できないものである以上、それが適切なのである。そして、その救済が単に「経済的」でたりる状況であっても断念ができるよう説得の範囲を広げようとするだろう。

 

 

 スタイル上封建主義を受けついだシェイクスピアのような作家は、完全にホメオパシー的療法に従っており、「ものを最大限に利用する」ことに慰めを見いだすようになっていったと分析することができる(「逆境のご利益というのは素晴らしいものだ」といったような図式は、封建的シェイクスピアの「本質」と考えられる)。しかし、やがてくる「豊かさの経済」、獲得の崇拝、それに対応する「知恵」から「権力-知識」への転換は彼のホメオパシー的効果(ある「スタイルの投薬」によって不運に対する「寛容」を発達させる)を破壊の脅威にさらした。

 

 

 ついでながら、宗教自体においても、アロパシー的科学の衛生学へと向かう傾向を指摘できる。それは儀式や祈りを解毒剤として用いるだろう(それと科学で用いられる解毒剤との唯一の違いは、いまの議論に添って言うと、科学が通常その手段の選択においてより正確だということにしかない)。「悲劇的」宗教はほとんどの者の意識からなくなっており、ただ世俗的な芸術家、自分の不運を洞察の基礎とし、不運を消し去ろうとするよりもむしろ超越しようとする者にしかなくなっている。彼らの「神経症」はその「天才」にとって本質的であり、「治療」は資本を奪い去るものとして却って恐れられる。

 

 

 魔術はホメオパシー的原理に基づいていた(「類病は類薬によって治療されるsimilia similibus curentur」)。しかし、儀式が官僚化されるのに比例するように、呪文や解毒剤の「アロパシー」的カテゴリーに転換していった。それゆえ、魔術は単なる悪い科学となり、良い科学が発達する基礎を形成したのである。フレイザーが指摘しているところによると、中世の宗教が支配権を握っていた時代には、「魔術」は「黒魔術」を意味し、初期の化学の実験者たちは不信の眼で見られていた。魔術にあった「純粋に」ホメオパシー的な力をもつ宗教的重みは、魔術が「純粋に」加持祈祷的な解毒剤(デューイの自然の「征服」において開花した自然な諸力への「攻撃」)になるに従い曖昧なものとなった。

 

 

 これに関連して、現代のホメオパシー的医療の創始者であるハーネマンは、あらゆる病気を三つの主要な原因、乾癬(かゆみ)、梅毒、毛瘡(小さな疣)から演繹しようとした。一種の「疾病分類学的三位一体」を求めるこの「統合化」に対する熱意は、その後継者たちに多大の困惑をもたらしたようであって、というのも、彼らは現代の実験的証拠によっては擁護できない多くのことを擁護することになったからである。彼らはその疾病の系譜学を排することで投薬の理論を保持することもやめた(健康な人間には症候を生みだすものを病人に与えることで治療すること)。両者を実践において分けることは可能だが、同じものの二つのあらわれであると思われる。それぞれが同じ生に対する姿勢、人は「敵をも受け入れ」ねばならないというマンの「悲劇的統合」への主張に似た統合的姿勢を体現している。我々はハーネマンが、一般には医療に対する効果的な貢献だと考えられていることを、疾病の起源に対する一般には不適切だと思われている考え方なしに達成できたのかどうか疑問に思う。実際的な効果についてはどんな違いがあるにしても、それらは同じ「芸術作品」の部分である。

 

 

 「カウンターパート」といったレプリカホメオパシー的)、補足(中間)、対立(アロパシー的)を意味する言葉には、類似から正反対のものへの微妙な転換が見て取れる。『恒久性と変化』では「手に負えなさ」という概念をそうした両義的なものとして使った。それはある言明の実体をなす要因、言明を促した要因、言明を正す要因を示している。医療では、一般的に行なわれる予防接種にホメオパシー的-アレオパシー的両義性があり、「敵を受け入れる」こと、血をそっくり汚染することで「悲劇的治療」が行なわれる。

*2:*イギリスの首相の逸話が思い起こされる。若い息子を伴った同じ党の人間が、息子に職を探してくれるよう首相に頼んだ。首相は息子の性質について尋ねた。「ええ、彼はとても謙虚です」と父親は言った。「謙虚」と首相は叫んだ。「彼はなんに対して謙虚なんだね」と。この逸話には「イロニー的慎ましさ」と同じ論理が働いている。