ブラッドリー『仮象と実在』 153

[身体とはなにか。]

 

 身体とはなにか。直前の章で我々はその答えを予期していた。身体は物理的世界の一部であり、自然そのものは完全に非実在であることを見てきた。抽象によって切り離された全体のある側面があり、それはなんらかの目的にとっては独立した実在ととらえられる。そのため、身体が自然の一片だということで、我々は同時にそれが現象以外の何ものでもないことを指摘することになる。それは自律していない物質的なものから知的に構築されたものである。これが物理的なものの一般的な性格である。しかし、自然科学によって有機体に特別に与えられている位置づけからは、私はなにも言いたくない。我々にとってそれは、時間的な連続性(1)を有する(定義されていない)配置であり、性質においてある量の同一性をもっており、その程度と性質については私には特定しようとすることはできない。そして私は、また、形而上学にとっては、魂が身体と本質的な関係をもったほうがよいと思う(第二十二章)。しかし、ここにおいて我々に関わっているのは、むしろ、その現象としての性格を主張することにある。それをつくりあげているものには、感覚と感情が分かちがたく含まれている。それらはある過程においてこの所与の全体から分かれるが、それは必然的ではあるが、矛盾に満ちている。別なものと見なされている物理世界は、未知のものと未知のものとの関係を含んでおり、そうした間に合わせの材料で個々の身体はつくられている。それはいまだ定まらない観点からくる不整合で謎だらけの構築物であり、もちろん必要不可欠というわけではないが、現象以上のものであるという主張を正当化することはできない。

 

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*1:(1)この点についてはのちになんらかを付け加えるべきだろう。我々が知る諸物体もまた空間において連続性をもっている。それが本質的なものであるかどうかは、のちに論じることになろう。