レイモンド・ウィリアムズ『マルクス主義と文学』 9

 この局面を把握することは、ヴィーコがそれを言語発達の諸段階、つまり、神的、英雄的、人間的という著名な三段階として図式化したと読み取れるために困難であったし、いまでもそうである。ルソーはこの三段階を「歴史的」なものとして繰り返し、諸段階を力の衰えとして解釈してロマン主義運動の議論――言語の「本来の」、「原始の」力を復活させることによって文学を復活させる――に形を与えた。しかし、このことは同時に、新たな活発な歴史意識を曖昧なものにし(復興を目指すものとして特殊化され、失敗すると反動でしかなくなる)、新たな活発な言語意識が文学に特化することで、特殊な事例、特殊な実体、特殊な働きとして区別され、言語と現実との「非言語的な」関係は以前のように慣習的で、疎外されたもののままに残される。ヴィーコの三段階を、実際には「諸段階」といったほうがいいが、文字通りに受けとることは、彼が押し広げた新たな局面を、彼同様、見失うことになる。というのも、彼の言語に関する考察で重要なのは人間の段階だけであって、神的な存在には無言の儀式と祭礼が、英雄には身ぶりとしるしがあるだけなのである。言葉による言語は、人間独特のものであり、本質的に人間的なものである。これが、言語を人間に「与えられた」ものだと(例えば神によって)する考えや、言語とはある特殊な習得物、道具として人間に「つけ加えられた」ものだというまた別の考えに反対するヘルダーの考え方である。言語は、間違いなく、人間独特の、世界の開示の、世界への開示の仕方であって、切り離したりできる道具ではなく、本質的な能力である。

 

 歴史的には、このように言語を本質的なものとして強調するのは、人間の発達を文化においてみる密接に関連した見方と同じく、自然科学の力強い発達による分析的経験的処置に直面して、一般的人間性のある種の観念を保存しようとするとともに、物理世界の属性が理解され、結果的にそれによる因果的説明が増大していくのに直面して、人間の創造性という観念を主張しようとする試みとしてみられるべきである。このようなものである限り、こうした傾向は、それに反対する傾向が新種の客観的唯物論に向かうのに対し、新たな観念論になる危険を常に抱えていた。後の思想を運命づけたこうした特殊な分裂は、新たな慣習となった「芸術」(文学)――「人間性」と「創造性」の領域――と「科学」(「実証的な知識」)――物理世界とそのなかにある物理的存在としての人間について知りうる次元――との区別によって覆われ、批准された。主要な各用語――「芸術、「文学」、「科学」、それに関連して「文化」、新たな必要として特殊化された「美学」、根本的な区別がなされる「経験」と「実験」――は十八世紀初期と十九世紀初期の間に意味合いを変えた。それによって起きた争いと混乱は猛烈なものだったが、十九世紀の新たな状況において、言語との関わりにおいてこの新たな慣習的な区別は吟味される必要があったにもかかわらず、実際には言語という土壌とかかわることがなかったのは意味深い。

 

 代わりに起こったのは、言語の経験的知識の法外な進歩であり、この知識の注目に値する分析や分類はいくつかの基本的な問題を脇にのけてなされたのだった。この運動を、植民地主義の拡大によって西欧社会が活発に発展していた時期の政治的歴史と切り離すことは不可能である。古い形の言語研究は、主に既に使われなくなった「古典的」言語のモデル(それは統辞論的、文学的意味の双方においていまだ影響力のある確定された「文法」である)と、そこから「派生した」現代の俗語に含まれる。ヨーロッパの探査と植民地化は入手できる言語的材料の範囲を劇的に拡大した。危機的な出会いはヨーロッパとインド文明の出会いで起こった。利用できる言語が手に入っただけでなく、異なった「古典」をもち、高度に発達した方法をもったインド文法学者がヨーロッパ人と接触したのである。インドにいる一人のイギリス人として、ウイリアム・ジョーンズはサンスクリットを学び、そのラテン語ギリシャ語との類似性の観察から、インド-ヨーロッパ系(アーリア語系と他の言語「語族」とを分類する仕事を始めた。