一言一話 81

 

エチエンヌ・バリバールSubjection and Subjectivation

 

  「主体」という概念が意味するもの

決定的な歴史的瞬間、「ブルジョア革命」の転回点において、哲学的言語の本質的な構造の内部に、我々は二つのまったく異なった概念的範型の系が結びついていることを見いだす。それは、(1)<人間的主体>は、言葉の広い意味における<市民的>、或は<政治的>地平のなかにおいてのみ、「人間性」の本質に具体的に出会うことができる、それは「普遍的市民権」の地平であり、認識論的、倫理的、美学的理性を含んでいる。(2)どんな人間的制度に属し、従属する「市民」も、とくに法的身分(多分より正確に言えば法的国家)にあるものは、あらゆる制度、あらゆる階級が<人間性>の部分的、暫定的な代理であるかぎりにおいて、制度や身分に<自由で自立的な主体として>「属する」ことができる。事実、それが唯一絶対的な「共同体」、唯一真の「歴史の主体」である。

すでにブルジョア革命において、政治的主体とより倫理的な主体とは分裂していた。