レイモンド・ウィリアムズ『マルクス主義と文学』 3

 「文明」と「文化」(特に初期において共通する「耕作」という形では)は結局十八世紀後半までは交換可能な言葉だった。両者は共に、完成された国家と発達の完成型である国家という問題のある二重の意味を伝えた。結果として生じた分岐にはいくつかの原因がある。第一に、表層的な「文明」についての攻撃があった。「自然な」国家とは異なって「人工的」である。「外面的な」こと――礼儀正しさや奢侈――を洗練させるより、より「人間的な」必要や衝動がある。ルソーからロマン主義運動を通じてなされたこの攻撃は「文化」の重要なもう一つの意味――「外面的な」発達とは異なる「内的な」、「精神的な」発達の過程――の基礎となった。このもう一つの意味がもたらした主要な影響は、文化を宗教、芸術、家族や個人的な生といった新しく抽象的で一般的な意味における「文明」や「社会」とは異なった、実際には対立さえするものと結びつけたことにある。常に十全な意味合いを伴っているわけではないが、この意味から「内的」発達の一般的な過程としての「文化」はそうした発達の手段や仕事を説明する意味を含むまで拡大されたのである。つまり、「諸芸術」や宗教が一般的に分類され、意味と価値の制度であり実践であるところの「文化」である。それは明らかに「社会的な」制度であり実践だが、いま普通に「社会」と呼ばれている一般的、「外面的な」制度や実践の集合体とは異なっているように見られるので、その「社会」との関係が問題となった。難点は、通常、「文化」を、実践においては明らかに社会的だが、その最も近しい世俗的な形式において「内的生」に関連づけることで、「主観性」、「想像力」といった「個人的な」用語を用いることで処理された。宗教的な意味づけは弱まり、結果的には主観性の形而上学と想像力の過程に取って代わられた。「文化」、より特殊には「芸術」と「文学」(それ自体新たに一般化され抽象されたのだが)は「人間精神」の最も深い記録、最も深い衝動、最も深い源と見られた。「文化」は、初期の形而上学的形式の世俗化であるとともに、自由化だった。その働きと過程は明らかに人間的なものであり、主観として一般化され、ある種の疑似形而上学的形式――「想像力」、「創造性」、「霊感」、「美学」といった新たな肯定的な「神話」の意味づけ――が結局新たな神殿に配置される。

 

 これが「外面的な」意味に捉えられていた「文明」という語の最初の裂け目だった。しかし、世俗化と自由化が続くに従い、「文明」という概念自体にもある圧力が加わってきた。工業社会の急速な発達とそれによって長引いた社会的政治的衝突を通じそれは臨界点に達した。我々の観点では、この過程は継続する文明の発達の一部であり、新たなより高次の社会秩序である。しかし、別の見方によれば、文明は完成された状態であり、新たな発達は破滅への脅威である。「文明」は両義的な語であり、一方では啓蒙的進歩的な発達であり、他方では完成され脅かされた状態であって、次第に懐旧的になり、実際にしばしば過去の栄光と同一化するようになる。この意味において、「文明」と「文化」とは、再び、継続する過程としてよりも受けとられた状態として重なり合うものとなる。かくして、文化と文明に対抗する新たな砲列が配備される。唯物論、商業主義、民主主義、社会主義

 

 だが、「文化」はその間にもまた別の発達を遂げていた。それを跡づけるのは特に難しいが、「文化」を社会的な概念――実際、本質的には人類学的、社会学的である――と捉えたために特に重要である。こうして発達した意味と他の「内的な」過程の意味づけ、そして「諸芸術」との緊張関係と相互作用は明白で重要なものとして残っている。