トマス・ド・クインシー『スタイル』22

 しかしながら、そのままではなく余裕をもって受け取れば、パテルクスが最初に気づいた現象、人間の才能の輩出のされ方は彼が目撃した人間の歴史において十分に確立されていると我々は認めなければならない。というのも、政治的変化にキケロの死が重なり雄弁が死滅したと断言すべきだとしても、諸芸術は言うに及ばず、ギリシャ、ローマの詩においても、人間の才能が孤立した集団や群れから輩出されるという一般的事実を証する事例が十分以上に存在するからである。あるいは、異教世界の年代には疑わしい点が残るというなら、我々はキリスト教の時代においても非常に広い範囲でこの真理の繰り返しを目撃している。イタリア十五世紀レオ十世の時代、フランス十七世紀ルイ十四世の時代、ドイツ十八、九世紀カント、ウィーランド、ゲーテの時代はすべて知的エネルギーの間欠的な激発の傾向を示している。雷と嵐はヨーロッパ中の空を巡り、文明国で次々に渦を巻き、それぞれの状況で放出された。我が国ではこうした知的力の集中が三度あった。<一度目>。シェークスピア、スペンサー、そして偉大な劇作家の時代であり、ベン・ジョンソン(一六三六)の後半生には既に消え失せつつあったが、最終的には一六四二年に始まったピューリタン革命で消滅した。<二度目>。アン女王とジョージ一世の時代。<三度目>。クーパーに始まる時代で、多分部分的にはアメリカの戦争によって喚起され、後には(カントとウィーランドに対応する時期であるが)フランス革命によって強く刺激された。英国の天才のこの最後の火山的噴出では莫大なる力と輝きが示された。同時代の嫉妬に満ちた悪意と非難は、天才の独創性や才能の多様な広がりは我が国では一七九三年以来決して現れなかったと言うだろう。あらゆる卓越性が、唯一劇に関するものはないが(現代においてシラーの『ワレンシュタイン』に並ぶものはない)、幻惑的な輝きを見せている。それを否定する者は自らの胆汁質の羨望で息を詰まらせているのである。

 

 だが、我々がこのローマ将校の興味深い観察を引用することで読者の注意を止めたいと願った点、つまり我々が引用した理由は、人間の天才が大潮のように、人間のエネルギーが間欠的な律動としてあらわれるという単なる事実でも、この循環に影響する心理学的な特殊性でもない。パテルクス自身は主にこうした現象の<諸原因>について考察している。彼が示唆する主要な原因は公的な競争に一度方向づけがなされると対抗意識が生じることである。確かにそれは原因の一つである。だが、より強い原因は多分、人間を分け隔てる原理よりは結合させる原理、つまり共感の原理にある。例えば、偉大なイタリアの画家たちは疑いなくこの原理によって集団的に目覚めたのである。特定の芸術作品や芸術家について数年に渡って偶像的な尊敬の噂を聞くことは野望や敵対関係よりもなにかいいものを燃え立たせる。卓越したものについてより幸福でより好ましい、つまり深く永続的感動に通じる穏和な愛と理解がたきつけられる。この共感の感染は電気的に社会を伝わり、同精神を高所低所に探り、自らの性質に気づいていない潜伏者も逃さない。渦は吸い込むこと、とにかくそうした行動があったときに生じる。だが、原因についての詮索にかかずらうのは止めにして、我々が読者の目を向けたいのは国民知性の革命がとる特殊な型、その変化のあり方である。多分、この時系列の奇数時期は創造的エネルギーを示し、偶数時期は反射的エネルギーを示しているといったのでは細かすぎるかもしれない。幼稚な仮説だとされるには十分である。だが、一般的に言って、最初に力があって次に反射的なその力に対する反動があってそれが交互に続くというのはもっともらしく説得力があるように思われる。最初にまず創造的エネルギーの開花があり、次の時代、意識が自らの作用を明確に把握し、創造的な精神を再利用する。瞑想の時期は生産の時期に続く。あるいは、創造のエネルギーが再び部分的に目覚め、より大きな情念に先んじていることを見いだすと、型にはまったことはしないようになりがちである。社会的相違がより強い本性の相違の代りになる。数世紀に渡る振り子運動の後、第三の時期がその国の天才の現われに続くと、創造的芸術の始まり以来の長い期間をかけて社会的要素のすべてが変わり、生の面から言えば子供の自由を精神に取り戻すことが可能になる。最初期の頃に創造されていたものがもはや模倣しようとする気にとらわれることなくできるようになる。独創的な才能は真似されるべき範例ではなく完全に新しい形式となる。時代の霜がこうした範例を活発な競争から取り戻すこともあるかも知れない。かくして、創造的エネルギーと反射的エネルギーの間を動く精神の振動が長年に渡って続けられることも不可能ではないのである。

 

 我が国の文学でもこの振動の例がある。シェイクスピアの時代には熱帯植物の繁茂のような生の充溢、法外なまでの力の高まりがあった。一世紀の後にも豊富な才能があったが、偉大な革命的激動から生じた放蕩に満ちた時代において不適切な訓練を受けたために一段格が下がり、また前代の創造があまりに偉大であるための絶望から向上心が減退している。彼らは弱まった野心に黙従していた。時には偉大な先行者たちに匹敵する美点を見せることもあったが、その美点は(時に同じであったにしても)より低いレベルにおいて同じなのである。<第三に>、十八、十九世紀に独創的な天才の新たな誕生があり、それを、シェイクスピアの巨人の時代に比較して絶対的に劣っていると言うのは適切ではない。というのも、厳密にまったく独創的な、<独特な>存在は同じように独創的なものと比較して良いとも悪いとも言うことができないからである。ある動物の構造を別な種類の動物と比較したとしても、どちらも良くできており完璧である。別のものの写しではない渓谷はそれ独自の特殊な美しさをもっており、等級をつけるために別の渓谷と比較することはできない。それ独自の法則によってできた詩で、特徴的な独特の美をもっているものはたのどんな詩と較べても劣っていると言うことはできない。部類やそのまとまりにおいて劣っているかもしれないし、規模が小さいこともあるかもしれない。だが、共に独創的な個々の作品は規模の違いがないならば平等でなければならない。こうしたことを理解すれば、どちらがという惨めな話のもつれ、幼稚な<比較趣味>(とラ・ブリュイエールが呼ぶところの)は問題ではなくなる。一般的に<不均衡>な場で<均衡>を主張することはできない。原則の一致がないところには比較の基礎になるものがないのである。