2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

一言一話 71

新=批評的エッセー―構造からテクストへ 作者:ロラン・バルト,花輪光 みすず書房 Amazon 倦怠 倦怠とは余計な時間の表現であり、よけいな人生の表現である。 どんな文脈かまったくおぼえていない。シャトーブリアンにとっては、ということのような気がする。…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 45

. III 秩序 .. 実在的な語、弁証法的な語、究極的な語 第一に我々が取り上げるのは、<実在的な>語である。それはとりわけ、<いまここにある>経験された事物を名づけるもので、生物学的分類のように<種と種差によって>定義される。ベンサムが法の「…

ブラッドリー『仮象と実在』 166

[諸魂間の交流、その性質。] この章を終える前に、魂と魂の関係について述べておく必要がある。魂の間のコミュニケーション、またその同一性と差異は、我々が間違いに関して注意深くあらねばならない点である。第一に、経験が互いに分離されることは確かで…

一言一話 70

新=批評的エッセー―構造からテクストへ 作者:ロラン・バルト,花輪光 みすず書房 Amazon 絵における運動 ヌーメン 運動が運動そのものを意味するためには、動きの極点において不動化されなければならない。この前代未聞の維持しがたい休止こそ、ボードレール…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 44

.. 「幼年期」、神秘、説得 修辞学的に考えると、象徴の説得力として「謎」の要素を受け入れることは、「魔術」や「神秘」を階級文化の受動的な反映であると同時に、文化的な凝集を維持する能動的な働きと見なすよう促すことになる。こうした説得の弁証法に…

ブラッドリー『仮象と実在』 165

[どこまで身体と魂は独立しているのだろうか。] しかし、先に進む前に、考えておくべき点がある。魂の状態は、部分的であっても、先行する状態に常に続くものではないと思われる。単なる身体的な諸条件の配列が心的生のすべての根源を与えるように思える。…

一言一話 69

新=批評的エッセー―構造からテクストへ 作者:ロラン・バルト,花輪光 みすず書房 Amazon ラ・ロシュフーコーと怠惰 能動的な情念は最終的にまだしも評価出来る。というのも、それは一つの形をもっているからである。だが、怠惰(または弱さ)は悪徳以上に美徳…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 43

.. 中世期の修辞学 これまで述べてきたことが修辞学に関する包括的な研究になっていると言うつもりはない。我々はこの特殊な「修辞哲学」を打ち立てるのに「役立てる」ことのできる作家たちのある側面だけを取り上げようとしたのであり、それによってその哲…

ブラッドリー『仮象と実在』 164

[しかし、関係は不可解なままである。] 同じ結論は因果的な系列を考えることによっても達せられるかもしれない。通常二つの側面は分離不可能であり、一方を無視するのが許されるのは承認を得たときである。しかしその帰結では、いまだ我々は真の因果的な関係…

一言一話 68

新=批評的エッセー―構造からテクストへ 作者:ロラン・バルト,花輪光 みすず書房 Amazon 対照法とポワント様式 対照法はただ単に強調の文彩ではない。つまり要するに思考の単なる装飾ではない。対照法はおそらく別のものであり、それ以上のものである。辞項の…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 42

.. ダンテの『俗語論』 「同一化」のレトリックが「無意識」と合流する地点があって、その問題に関してダンテの『俗語論』を考えることができる。ロンギヌスの『崇高について』がそうであるように、重視されているのは詩だが、このエッセイは詩と修辞学とが…

ブラッドリー『仮象と実在』 163

[真の見方が述べられる。] 精神と物質との因果的な関係ということで、それそのままであるとき、一方が他方に影響を与えるということが意味されているのではないことを言っておこう。魂そのものが身体に働きかける、身体的状態そのものが魂そのものに働くこと…

一言一話 67

新=批評的エッセー―構造からテクストへ 作者:ロラン・バルト,花輪光 みすず書房 Amazon ポワント様式 ポワント様式とは何か?それは、もしこう言ってよければ見せ物として構成された格言である。あらゆる見せ物と同じように、格言もある快楽を目ざすのである…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 41

.. マキャベリの「行政的」修辞 マキャベリの『君主論』は、<聴衆に影響を及ぼそうとした>ものである限り、修辞として扱うことができる。君主の臣下が聴衆だったこともあるし、外国の支配者や住人が聴衆だったこともあり、国家の特定の党派が聴衆だったこ…

ブラッドリー『仮象と実在』 162

[一方が他方の無駄な従属物なのではない。] それゆえ、我々は魂と身体が因果的に結びつくと見なさざるを得ず、問題はその結びつきの性質となるように思える。それはすべていわば、一面的であり得るのだろうか。魂は身体に形容詞的に依存しており、決してある…