C・S・パース

C・S・パース「科学の論理について」 10

この不完全なデータについての考察は、根本的な観察へと我々を導く。つまり、いかに我々は帰納をなし得るかという問題は、いかに我々は根拠をもって一般的な言明をなし得るかという問題とまったく同じものである。というのも、そうした言明は帰納によるかあ…

C・S・パース「科学の論理について」 9

この例では、草食動物はもっとも広がりがあるあるいは大前提であり、牛と鹿は小前提であり、蹄の分かれたは中前提であって、アリストテレスの定義を例示する助けとなろう。そして、我々の帰納的推論は、述語としてある大前提から中前提を通じて小前提を論じ…

C・S・パース「科学の論理について」 8

講義 II MS 95:1865年2月-3月 論理学そのものを適切に考える学の論理を理解する方法にある大きな困難を成功裏に乗り越えたと思うので、あらゆる科学的推論の根底にある基本的過程を発見することに進もう。この問題は必然的に無味乾燥で抽象的…

C・S・パース「科学の論理について」 7

ついでに言っておけば、シンボル的な性質がもともとあるものなら、それはより写しに近く、そうしたシンボルの例としては概念や心的なシンボル同様、ヒエログラフ、幾何学的シンボル、エンブレム、比喩などである。他方、シンボルの性質が獲得されたものなら…

C・S・パース『科学の論理について』 6

第二の種類の真理は、これまでの慣習に従った記号の外示である。たとえば、子どもの名前は、洗礼の慣習に従い、その人物を指している。記号が複数のものを指すこともあり得るが、それらが示す各対象は慣習によって固定されておらねばならないので、真の一般…

C・S・パース『科学の論理について』 6

第二の種類の真理は、これまでの慣習に従った記号の外示である。たとえば、子どもの名前は、洗礼の慣習に従い、その人物を指している。記号が複数のものを指すこともあり得るが、それらが示す各対象は慣習によって固定されておらねばならないので、真の一般…

C・S・パース『科学の論理について』 5

科学の非心理学的概念を採用する幾つかの理由が挙げられたので、この概念を十分に明確なものとし、論理の定義に役立てることとしよう。この目的のためには、ロゴスを抽象的なものから具体的なものへ、絶対的なものから従属的なものにしなければならない。絶…

C・S・パース「科学の論理について」 4

2.非心理学的観点に第二の利点は、それが問題についての間違った考えを論破するのにもっとも便利な手段として役立つことがある。ミル氏の論理学の定義を例にとってみよう。「それは、証明の評価を助ける悟性の働きについての科学である。」この定義の心理…

C・S・パース「科学の理論について」 3

こうした主張は極端な場合、間違いよりも悪いものとなる。論理は悟性の働き、精神の行為、知性についての諸事実などとはまったく関係がない。このことはカント派たちによって繰り返し示されてきた。しかし、私は更に一歩進み、論理学について完全に非心理学…

C・S・パース「科学の論理について」 2

第一の問題は次の順で考えられる。 第一に、論理の概念。 第二に、アリストテレスから発達した帰納の理論、これは私がより好むものである。 第三に、現代の理論家、ブール、アペルト、ハーシェル、グラトリー、ウェーウェル、ミルについての研究。 第四に、…

C・S・パース「科学の論理について」 1

講義 I MS 94:1865年 2-3月 私はあなた方の注意を古代の三学――些末なtrivialの語源であり、長い偏見にさらされてきた研究分野であるが――のうちのひとつに向けることをお願いするが、いま現在それをつまらないものであるという非難から守る必要…

C・S・パース「形而上学的————Odi Profanum Vulgus————1862年3月30日」

弁証法の不十分さ 1.弁証法家の立場 第一章は形而上学の真の観念の発達をたどろうとした。概念の三幅対、それらを総合することが不可能であることは、当然のことながら、形而上学の三つの本質的な学派を生みだす。ドグマ的、心理学的、論理的学派である。…

C・S・パース「/形而上学についての論考/」 2

2.形而上学の基本的な区別について 通常、あらゆる形而上学はある根本的な区別に基づいていると認め、あるいは仮定されている。形而上学の新たな体系のすべては、ある特殊な区別に基づいている点でそれぞれ固有の長所をもっているのは事実である。私の体系…

C・S・パース「/形而上学についての論考/」 1

/形而上学についての論考/ 1861年8月21日————1862年3月30日 序 この本の私の意図は三段論法のスタイルで書くことである、というのも、形而上学においては、どんな小さな前進にも注意が必要とされるからだ。散在する意見は、これ以後用いられ…

C・S・パース「なぜ我々は無限について推論できるのか」

1859年10月25日 なにが議論されうるか。定義できるものはなんでも三段論法に組み込むことができる。我々は考えることのできない多くのものを定義できる。我々が定義するのは決して事物ではなく、観念や疑似観念である。さて、我々は考えることのでき…

C・S・パース「/無限の概念/」

なにを我々は議論できるか。定義できるものについては何でも三段論法に組み込める。考えることのできない多くのものについて我々は定義できる。我々が定義するのは決して一つの事物ではなく、観念、あるいはうわべだけの、仮定された観念である。さて、我々…

C・S・パース「我々が神の本性を推論できることを証明するための宗教的思想の限界についての試論」

I 我々はなにを論議することができるだろうか。理解できないものについてはなんであれ論議できないのだろうか。自然や想像のなかに存在しないものについては論議することさえできないのだろうか。三段論法で論じられるものについてはなんであれ我々は論議で…