2021-12-01から1ヶ月間の記事一覧

一言一話 121

五味康祐 音楽巡礼(新潮文庫) 作者:五味 康祐 新潮社 Amazon フランク《ヴァイオリン・ソナタ》 レコード鑑賞家とナマの音 「色はあるが光はない」とセザンヌは言った。画家にとって、光は存在しない。あるのは色だけだと。光を浴びて面がどういう色を出し…

ケネス・バーク「純粋な」文学の三人の達人【『反対陳述』から』 1

Ⅰ 五十年ほど書簡を書き続けた後で、フローベルが初めてバルザックの手紙を見たとき、嫌悪感を抱いたのも当然だった。この人物は――少なくともフローベルの考え方によれば――この世界で最も栄誉ある職業に従事していたのだが、私信には芸術のことなどまったく…

ブラッドリー『仮象と実在』 217

[それぞれが残りを含む] 我々は異なった経験の領域を概観し、それぞれが不完全であることを見いだした。我々は確かに絶対がそれらのうちのひとつであるとはいえない。他方において、それはまたその残余でもないので、不十分で不整合なものと見ることができ…

よろずの紙反故 16

リクガメの顎のなかのミントの葉 去年の日にお会いするのも飽きはてて 奥州の空き家に居つくオドラデグ 猥本を万葉仮名に書きかえて エネマグラ諦めに似たうれしさよ

一言一話 120

Holy Feast and Holy Fast: The Religious Significance of Food to Medieval Women (The New Historicism: Studies in Cultural Poetics Book 1) (English Edition) 作者:Bynum, Caroline Walker University of California Press Amazon 視覚を優先する中世…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 26

XV.はじめに・・・ 三位一体の三つの動機づけは互いに含まれ合ってはいるが、この章は、原則的に、聖霊よりはロゴスとしての言葉により直接的に関係している。アウグスティヌスの修辞にある力強い特徴は、聖書の言葉に従ったものであり、「永遠」が付与されて…

ブラッドリー『仮象と実在』 216

[それぞれが残りを含む] 我々は異なった経験の領域を概観し、それぞれが不完全であることを見いだした。我々は確かに絶対がそれらのうちのひとつであるとはいえない。他方において、それはまたその残余でもないので、不十分で不整合なものと見ることができ…

よろずの紙反故 15

名月やあきないひとの欠けた指 刃傷商人宿に立てこもり 後架先手水鉢には秋の風 秋草を塩味だけで粥にして オランダの飾り窓での秋田蕗

一言一話 119

桑原武夫全集〈第6巻〉 (1968年) 作者:桑原 武夫 朝日新聞社 Amazon 学問を支えるもの 明治の学者とそれ以後の学者との断絶についての柳田國男の説 それは正しい、自分も君と全く同感だ、と言下に答えられたので、それではその理由は何でしょうか、と重ねて…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 25

XIV.形象、感覚、誘惑、媒介者 睡眠中のイメージの話がどうして誘惑の主題に移るか。ジョイスの『若い芸術家の肖像』から節制についての一節を引用。アウグスティヌスの誘惑を査定する際の注目すべき細部。再び記憶の主題の始めで記したことに言及する朗々た…

ブラッドリー『仮象と実在』 215

[喜び、感じ、理論、実践、美的姿勢はそれぞれあらわれでしかない] 経験は経験であり、経験はまたひとつである。次の章で、それに疑いをもてるかどうかもう一度考えようと思うが、現在のところ、効力のある真理だと仮定しておこう。どの主要な側面のもとで…

よろずの紙反故 14

東邦の上がり座敷に象二頭 播州の闇夜に潜むあかりとり 八百善のあがり場に立つやせ蛙 観覧車死にあがりたる賽の目よ 秋の夜や口を開けたる公方がた

一言一話 118

桑原武夫全集〈第4巻〉 (1968年) Amazon 『桑原武雄全集4 人間認識』 湖南先生 内藤湖南の本の読み方 先生は大ていの書物はまず序文を丹念に読み、それから目次を十分にらんだ上、本文は指さきで読み、結論を熟読すれば、それで値打はわかるはずだと漏らさ…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 24

XIII.上昇することを面倒なものとする三位一体についての考察 神の探求と幸福な生の探求との等値。アナロジーを用いる巧みな文体への寄り道。誰でもが幸福への探求を記憶している限り神のことを「記憶」している。「記憶」の一部としての「心」。誘惑という主題へ…

ブラッドリー『仮象と実在』 214

[経験の主要な様態;それらはすべて相対的である] しかし、他方において、絶対においてはどんなあらわれも失われ得ない。それぞれが寄与し、全体の統一に本質的である。それゆえ、(第二十五章において)我々は一側面はそれ自体を見たとき最終的には他のもの…

よろずの紙反故 13

ペヨーテを匙でほじくる赤ら顔 身の恥をあからさまにする大魔神 西方の浄土の部屋のあかりかな 天和であがってみても雨夜かな 上がり口手招きをするますみかな

一言一話 117

『桑原武夫全集3 伝統と近代化』 ..芭蕉について ...芭蕉の誠と西欧文学のサンセリテの相違 ところが綿密な研究をつづけた学者のうちにも、同じように芭蕉を西洋風の人生詩人に見たてようとする傾向がある。そして「誠をせむる」などという言葉に力点がおか…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 23

XII.しがみつくこと(Inhaerere) ジョン・ボウルビーの幼児における「五つの本能的反応」。アウグスティヌスはその三つ、泣き叫ぶこと、笑うこと、吸うことに言及する。しがみつくこと、ついていくことには言及していない。成人してから、ついていくことは、…

ブラッドリー『仮象と実在』 213

第二十六章 絶対とそのあらわれ [この章の対象」 我々は善が、真理と同じように、一面的なあらわれであることを見てきた。それぞれの側面は、自らを超越すると主張された。その運動によってそれぞれは限界を超えて発達し、より高次のすべてを抱握する実在に…

よろずの紙反故 12

ひろがねの赤み渡った荒野かな ビニールとガムテープだけを崇めたて 赤ん坊がうごめく冬の竹林 青かびを白さで覆うあかんべい 城郭を針で越えいる赤目かな

一言一話 116

文学入門 (岩波新書 青版) 作者:桑原 武夫 岩波書店 Amazon ...よい本 よい本とは、初めからしまいまですべて正しい本という意味ではなく、多少の錯覚があっても、正しいところはひどく正しい、という本のことである。そしてわれわれが鍛錬されるのは、むし…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 22

XI.記憶とはなにか 自伝が終わり、異なった種類の用語の発展が取って代わる。それまでの四巻の展開についての簡単な要約。様々な記憶についての叙述から記憶の諸原理へと転換することは、「ロゴロジー的」には、「時間」から「永遠」への転換に等しい。知識…

ブラッドリー『仮象と実在』 212

[宗教と哲学。] この章を危険な間違いに対して警告を発することで終わりたいと思う。我々がみてきたことは、宗教はあらわれであり、究極的なものとはなりえないということだった。このことが結論づけられれば、宗教の完成は哲学であり、形而上学において、…

よろずの紙反故 11

赤星に千惠藏の顔見つけたり 本郷で赤本の束を買いにけり 赤間石の隙間に沿った墓参り イレーヌの赤みを別ける整体師 赤味噌で息継ぎをする画廊主

一言一話 115

桑原武夫『文学とはなにか』 ...文学と科学 ファーブルのように自然界の中で直接の観察をすることは、今日むしろ稀れであって(そういう意味で『昆虫記』は文学である)、多くの科学者はラボラトリで目盛りを読んでいるのだ。現実の社会、ないし自然に存在す…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 21

X.モニカの巻 第九巻は、アウグスティヌスが聖霊について考えることで完成すると言える。自分の息子は母の前に死んだのだったが、アウグスティヌスは母親の死というテーマでこの巻を終えるような叙述にしている。母親との神秘的な会話が詳細に描かれる章は、…

ブラッドリー『仮象と実在』 211

[宗教的真理に関する実際的な問題。] しかし、もしそうなら、実践の結果はどうなるだろうか。それに答えるのは私の仕事ではない。そうした疑問に固執することは有害な偏見にとどまることになろう。形而上学者の仕事は究極的な真理を探究することであり、ど…

よろずの紙反故 10

あかぬけた複雑な彼石を蹴り ローマにて風呂を賑わすあかねぶり 縁日に赤鼻がする試し斬り 二階からまち針落とす日永かな 贖いは楽土のなかの辺境地

一言一話 114

黒いユーモア選集〈1〉 (河出文庫) 作者:アンドレ ブルトン 河出書房新社 Amazon 黒いユーモア選集〈2〉 (河出文庫) 作者:アンドレ ブルトン 河出書房新社 Amazon ルイス・キャロル ナンセンス ルイス・キャロルの<<ナンセンス>>の重要性の源泉はつぎの…

ケネス・バーク『宗教の修辞学』 20

IX.中間部分(回心、転回、急変)の詳細 投票、購買、質問表、劇での「意志決定」。劇に例示される「意志決定」と「回心」との相違。アウグスティヌスの回心と逆の意味で類似している『オセロー』。「回心」の二つの意味。回心とよこしまさとの関係。第一…