翻訳

トマス・ド・クインシー『スタイル』7

だがなぜであろうか。このどこにでも共通で、我々が見るところではごく当然に思える欠点から国を挙げて免れている原因は、免れているという事実と同じくらい我々の注意を引く。この欠点とは、想像するに、二つの条件があるときに避けがたい。第一に性急さで…

ブラッドリー『論理学』32

§34.もし現象ということで知覚する事物、あるいは我々に与えられる事実やあらわれを意味するならば、地平線の向こうにある英国全体(アメリカとアジアは言うまでもなく)、過去と未来の出来事のすべては現象では<ない>ことになる。それらは知覚される事…

トマス・ド・クインシー『スタイル』6

だが、多分こうしたことすべてを示すには、英国のスタイルを我々の最も重要な隣国であるフランスとドイツのスタイルと並べてみることがいいだろう。文明の主導者であり、知的な意味において<力>があるということになれば、ヨーロッパには三つの国しかない…

ブラッドリー『論理学』31

§32.しかし、そうした連続性とその結果である所与の「これ」の拡大は、他の観念的構築と同じく、同一性に基づいている。後に見るように、推論は常に、識別しにくいものの同定にかかっている。性質の同一性は真の同一性を証明する(第二巻第一章第六章を見…

トマス・ド・クインシー『スタイル』5

話し言葉の純粋な活き活きとした言葉づかいや日常的な英語は、あまり本に影響を受けていない教養ある女性に求められるべきだと我々は主張した。どんな言語においても、書物が話し言葉のスタイルとは異なる言葉づかいに向おうとするのは確かである。そこで、…

ブラッドリー『論理学』30

§30.個的なものとしてしか存在できないと我々が感じる実在の完全性を見いだそうという努力は、まず最初に、時間と空間の総合的判断に我々を導くだろう。しかし、先に進む前に、この試みの一般的な性質について考えてみよう。もし実在が自律的で、自己充足…

トマス・ド・クインシー『スタイル』4

名前をつけるときのように、言葉の使用において殆んどの階級は両極端の圧力の間にある。一方には、粗雑、不注意、不完全さがあり、他方には見せかけの洗練と途方もない野心がある。作家は、どんな言葉を使うにしても、常に危険な立場にある。名声欲から、あ…

ブラッドリー『論理学』29

§28.我々は知覚にあらわれる実在を指し示すことによって観念や単なる普遍から逃れる。かくして、我々の主張が唯一無比に達しない限りそれは事実とは対応しない。かくして、分析判断は我々にとって確実なものとなったように思える。しかし、§19で尋ねた…

トマス・ド・クインシー『スタイル』3

英国人が、他の点では楽しみ、評価するスタイルの長所を無効にする二つの力を示してみよう。アテネとローマの市民をレトリックの力と言葉の魔術にかくも敏感にさせたのはなんだったのか。それはレトリックと言葉の魔術が毎日使われ、市民自身に関心のあるこ…

ブラッドリー『論理学』28

§26.繰り返すと、実在の現前は唯一無比なものである。識別によって我々はその唯一無比を観念の形に固着することができる。我々はその観念を別のものについての観念にもしようとしている。しかし、別のものについて真である観念では、そのなにか別のものが…

トマス・ド・クインシー『スタイル』2

この一般的な傾向は多くの仕方で働いている。しかし我々の直接の目的であるスタイルに関わるものである。こうした公準を実際に実行できる国とて他にはないが、より決定的な国民の心性は本の<実質>を最高の<性質>とするだけでなく、それらは異なったもの…

ブラッドリー『論理学』27

§24.ここで我々は厄介な問題に行き当たる。読者は我々のこれ性についての考え方を受け入れることに同意してくれただろう。我々の用語では空間や時間における相対性、別の言葉で言えば個別性しか意味することができず、内容を越えでることがないことには同…

トマス・ド・クインシー『スタイル』1

【ド・クインシーはご存じ難しい英語で、正確さは保証しません。翻案程度にお考えください。】 第一部 英国に生まれた恩恵についてのつきることのない議論——数多くあるというより重々しくされる議論で、その数よりも重みについて語られるpondere quam numero…

ブラッドリー『論理学』26

§21.時間的空間的排他性がその内容を唯一無比なものとするという意味で、空間と時間が「個別化の原理」だとするような誤った考えは(もしもっているなら)捨て去らねばならない。「出来事」について語ることで、実在や堅固な個物に降り立ち、雲をつかむよ…

ブラッドリー『論理学』25

§19.II.単称判断の第二のクラスにおいて(§7)、我々は、一般的に、我々が知覚しているわけではない空間や時間にあらわれるものについて言明し、そのあらわれについて、内容の分析によって得られるのとは異なったもので述べる。もし私が「この壁の向…

レイモンド・ウィリアムズ『マルクス主義と文学』17

3.文学 「文学」を概念としてみることは比較的困難である。通常の用法では、特殊な記述以上のものではなく、そこに記述されているのは、概して、概念として働きながらそれでもなお現実的かつ実際的であると固く信じられている特殊な作品及びそれに類した作…

ブラッドリー『論理学』24

§17.固有名の主語に関する奇妙な錯覚が広く行き渡っている。固有名詞には<含意>がない、あるいは、より一般的な専門用語を使えば、<内包>がないといわれている。通常の言語においては、それはなにかを<あらわす>が、何ものも<意味>しないとされて…

レイモンド・ウィリアムズ『マルクス主義と文学』16

フォルマリストの体系は、当今の構造主義的マルクス主義の一派のように、この点を「既に与えられたもの」、「経済構造によって最後の瞬間に決定されたもの」としてのみ触れることができる。この種の還元を避けるためには、「記号」と「信号」とのボロシノフ…

ブラッドリー『論理学』23

§15.判断は観念の総合ではなく、観念内容で実在を指し示すことである。この基礎づけから、我々は既に扱った多様な判断を解釈するよう努めねばならない。§7の単称判断、そのうちの感覚の分析判断と呼んだものを取り上げよう。 I.その本質は、いまだけに…

レイモンド・ウィリアムズ『マルクス主義と文学』 15

彼の努力の多くは、活動性としての、実践的意識としての言語への強調を取り戻すことで、それは閉鎖された「個人意識」や「内的精神」へ向かう特殊化によって結果的に否定されてきたものだった。この伝統は、閉じられた形式体系の二者選択ということを離れて…

ブラッドリー『論理学』 22

§13.しかし、こうした込み入ったことはそのままにしておかなければならない。(言ってみれば)知覚にあらわれる実在は単一の瞬間にあらわれるのではないことを知ることで満足しなければならない。しばらく立ち止まり反省してみるなら、我々がどれだけ迷信…

レイモンド・ウィリアムズ『マルクス主義と文学』 14

言語を道具へ還元することに対抗するものとして、活動としての言語を観念論風にあらわした、言語を表現としてとらえる考え方は、明らかに魅力的なものであった。それは、敵対理論が情報の伝達、メッセージの交換、対象の名づけに限定し、最終的には抑圧した…

ブラッドリー『論理学』 21

§11.我々は実在が、少なくとも我々の知る限り、現前しているに違いない、と自然に考えている。もし私が直接それと行き合うことがなければ、私はそれを決して確かめることはできない。結局、私が感じるもの以外には実在ではあり得ず、私は自分に触れるもの…

レイモンド・ウィリアムズ『マルクス主義と文学』 13

十九世紀後半から二十世紀中盤にかけての実証主義が優勢な時期においては、マルクス主義の支配的な部分は、こうした事実上の還元を行なった。全般的に無視されていた言語理論において直接的にではなく、意識についての考察や、「イデオロギー」や「上部構造…

ブラッドリー『論理学』 20

§9.しかし、判断は、前の章で見たように、観念に限られるものでもなく、決してその総合に存するわけでもない。二つの観念が必要だというのはまったくの錯覚であり、二つ揃うまで判断を待つようでは我々は判断などまったくできなくなるだろう。繋辞が必要だ…

レイモンド・ウィリアムズ『マルクス主義と文学』 12

本質を構成するものとしての言語の観念は、常に、こうした還元の危険にさらされている。しかしながらそれは、孤立した独創的な語が観念論に向かう方向においてのみではなく、客観的唯物論や実証主義においても、「世界」や「現実」や「社会現実」が、あらか…

ブラッドリー『論理学』 19

§7.しかしながら、この結論は容易に持ちこたえることができない。というのも、もし真理がそのようなものであったら、あらゆる真理は偽と大して変わらないものとなってしまうだろう。我々は定言的判断をそう簡単にあきらめることはできない、というのは、も…

レイモンド・ウィリアムズ『マルクス主義と文学』 11

この言語の物象化の主要な理論的表現は、二十世紀に、客観主義的なデュルケム的社会学と密接な関係をもつソシュールの作品においてあらわれた。ソシュールにおいて、言語の社会的性質は安定しており、自律的で、規範的で同一の形式に基づいたある体系(ラン…

ブラッドリー『論理学』 18

§5.こうしたことが現実を構成するいくつかの点である。真理はその一つをももっていない。それは観念の世界に存在する。観念は、我々が見てきたように、単なるシンボルである。一般的であり形容詞的で、実体でも個的でもない。その本質は意味のなかにあり、…

レイモンド・ウィリアムズ『マルクス主義と文学』 10

比較分析と分類に基づいたこの仕事は、その手続きにおいて、同時代の進化論的生物学に非常に近かった。それは学問的な調査がいっせいに行なわれた主要な時期の一つであり、経験に基づいて、進化論的発達や諸関係の図式を含んだ言語語族の主要な分類だけでな…