ブラッドリー

ブラッドリー『論理学』32

§34.もし現象ということで知覚する事物、あるいは我々に与えられる事実やあらわれを意味するならば、地平線の向こうにある英国全体(アメリカとアジアは言うまでもなく)、過去と未来の出来事のすべては現象では<ない>ことになる。それらは知覚される事…

ブラッドリー『論理学』31

§32.しかし、そうした連続性とその結果である所与の「これ」の拡大は、他の観念的構築と同じく、同一性に基づいている。後に見るように、推論は常に、識別しにくいものの同定にかかっている。性質の同一性は真の同一性を証明する(第二巻第一章第六章を見…

ブラッドリー『論理学』30

§30.個的なものとしてしか存在できないと我々が感じる実在の完全性を見いだそうという努力は、まず最初に、時間と空間の総合的判断に我々を導くだろう。しかし、先に進む前に、この試みの一般的な性質について考えてみよう。もし実在が自律的で、自己充足…

ブラッドリー『論理学』29

§28.我々は知覚にあらわれる実在を指し示すことによって観念や単なる普遍から逃れる。かくして、我々の主張が唯一無比に達しない限りそれは事実とは対応しない。かくして、分析判断は我々にとって確実なものとなったように思える。しかし、§19で尋ねた…

ブラッドリー『論理学』28

§26.繰り返すと、実在の現前は唯一無比なものである。識別によって我々はその唯一無比を観念の形に固着することができる。我々はその観念を別のものについての観念にもしようとしている。しかし、別のものについて真である観念では、そのなにか別のものが…

ブラッドリー『論理学』27

§24.ここで我々は厄介な問題に行き当たる。読者は我々のこれ性についての考え方を受け入れることに同意してくれただろう。我々の用語では空間や時間における相対性、別の言葉で言えば個別性しか意味することができず、内容を越えでることがないことには同…

ブラッドリー『論理学』26

§21.時間的空間的排他性がその内容を唯一無比なものとするという意味で、空間と時間が「個別化の原理」だとするような誤った考えは(もしもっているなら)捨て去らねばならない。「出来事」について語ることで、実在や堅固な個物に降り立ち、雲をつかむよ…

ブラッドリー『論理学』25

§19.II.単称判断の第二のクラスにおいて(§7)、我々は、一般的に、我々が知覚しているわけではない空間や時間にあらわれるものについて言明し、そのあらわれについて、内容の分析によって得られるのとは異なったもので述べる。もし私が「この壁の向…

ブラッドリー『論理学』24

§17.固有名の主語に関する奇妙な錯覚が広く行き渡っている。固有名詞には<含意>がない、あるいは、より一般的な専門用語を使えば、<内包>がないといわれている。通常の言語においては、それはなにかを<あらわす>が、何ものも<意味>しないとされて…

ブラッドリー『論理学』23

§15.判断は観念の総合ではなく、観念内容で実在を指し示すことである。この基礎づけから、我々は既に扱った多様な判断を解釈するよう努めねばならない。§7の単称判断、そのうちの感覚の分析判断と呼んだものを取り上げよう。 I.その本質は、いまだけに…

ブラッドリー『論理学』 22

§13.しかし、こうした込み入ったことはそのままにしておかなければならない。(言ってみれば)知覚にあらわれる実在は単一の瞬間にあらわれるのではないことを知ることで満足しなければならない。しばらく立ち止まり反省してみるなら、我々がどれだけ迷信…

ブラッドリー『論理学』 21

§11.我々は実在が、少なくとも我々の知る限り、現前しているに違いない、と自然に考えている。もし私が直接それと行き合うことがなければ、私はそれを決して確かめることはできない。結局、私が感じるもの以外には実在ではあり得ず、私は自分に触れるもの…

ブラッドリー『論理学』 20

§9.しかし、判断は、前の章で見たように、観念に限られるものでもなく、決してその総合に存するわけでもない。二つの観念が必要だというのはまったくの錯覚であり、二つ揃うまで判断を待つようでは我々は判断などまったくできなくなるだろう。繋辞が必要だ…

ブラッドリー『論理学』 19

§7.しかしながら、この結論は容易に持ちこたえることができない。というのも、もし真理がそのようなものであったら、あらゆる真理は偽と大して変わらないものとなってしまうだろう。我々は定言的判断をそう簡単にあきらめることはできない、というのは、も…

ブラッドリー『論理学』 18

§5.こうしたことが現実を構成するいくつかの点である。真理はその一つをももっていない。それは観念の世界に存在する。観念は、我々が見てきたように、単なるシンボルである。一般的であり形容詞的で、実体でも個的でもない。その本質は意味のなかにあり、…

ブラッドリー『論理学』 17

§3.しかし、ヘルバルトは、後で見るように、そう簡単に片付けられはしない。彼は、判断が事物に関するものだという常識的な教義を無批判に受け入れ、事物とは言葉ではないという発見に驚き、繋辞の本性についての言語学的啓示と思われていたものにひれ伏し…

ブラッドリー『論理学』 16

第二章 判断の定言的仮言的形式 §1.前の章では、我々は判断の主要な特徴を簡単に記そうとした。この章は我々の結論を支え深めることとなろう。ここで扱われる問題は、部分的には、ヘルバルトによって提起されたよく知られた議論に出くわしたことのある者に…

ブラッドリー『論理学』 15

[それは精神において扱われる最初の普遍に由来する。24-26] §24.英国では、「経験の哲学」の真理の伝統に忠実なあまり偏見が積み重ねられ、ほとんど事実に対する訴えかけが無効になっているのではないかと私は恐れる。しかし、私はいかに無益なこ…

ブラッドリー『論理学』 14

[もし連合説が正しいなら、判断は決してあらわれることができない。23] §23.我々が述べてきたことは、心理学的な移行を順を追って述べることではなく、諸段階と諸機能の違いを明らかにすることだった。最後に、我々は致命的ともなる誤りを未然に防ぐ…

ブラッドリー『論理学』 13

[判断の始まりに必要とされる条件。21-22] §21.観念が知識の対象となり、真と偽が判断に入り込んでいく過程を段階をおって詳細に述べることは困難であろう。この困難さの他に、常に生じる事実に関わる問題がある。ある発達の段階があるとき、判断…

ブラッドリー『論理学』 12

[なぜなら、最初は精神は観念を持たない。19-20] §19.私は魂のより低次の形式、あるいはなんらかの形式が単純な感覚の把持だけに制限されていると言おうとしているのではない。魂が与えられたものになにもつけ加えず観念化もしない受動的な容器だ…

ブラッドリー『論理学』 11

[判断の発達。それは遅くなってからの産物である。18] III.§18.我々は判断について予備的な考察をし、いくつかの誤った考え方を取り除こうと努めた。ここでは三番目の仕事として、この機能の発達について述べなければならない。既に明らかにした…

ブラッドリー『論理学』 10

[これまでも間違いに含まれていた真実。17] §17.我々はこうして前述の教義の間違いを見てきた。それらがもつ主要な真実を考えるのはより喜ばしい仕事である。(i)§13で我々が批判し始めた見解は、主語、述語、賓辞の誤りを避けている。その見解は…

ブラッドリー『論理学』 9

[単なる接合でも観念の等式でもない。16] §16.(ii)ここで最初の誤りを終え、次の誤りのグループを考えることとしよう。それらは共通の欠点、判断においては一組の観念があるという誤った考えに苦しんでいる。我々はこの錯覚を§11で扱い、以下の…

ブラッドリー『論理学』 8

[実践的推論でもない。15] §15.長らく生気を失っていたが、頑強に場所を塞いでいた教義を反駁することから代わって、最新の誤り、判断と実践的な信念との混同について考えることにする。私はいかなる心的な活動がどれだけベイン教授の理論と整合性を…

ブラッドリー『論理学』 7

[間違った考え方の批判。判断は「連合」ではない。13-14] II.§13.判断についての誤った理論は自然に二つの種類に分けられ、一つは主語、述語、繋辞に対する迷信によって理論が損われるもので、他方は別の欠点による。二番目のものを最初に取り上…

ブラッドリー『論理学』 6

[誤りの反駁。11-12] §11.こうした判断の記述において、我々が同時に気がつく二つの点がある。読者は、我々が<一つの>観念、あるいは観念内容をもつ判断について語り、主語と繋辞についてはなんの言及もしていないことを認めるだろう。一方、も…

ブラッドリー『論理学』 5

[判断の定義。10] §10.我々は論理的観念ということでなにを理解するべきか知ったので、以下の論述を先取りして、判断がそれをもってなにをするかについて簡単に独断的に述べてみよう。我々は、できる限り、心理学的形而上学的難点を避けなければなら…

ブラッドリー『論理学』 4

[判断において観念は意味である。9] §9.こうした事実の逆説的な影であり幽霊であるのが、我々が観念なしに判断なしというときの観念である。先に進む前に、叙述において我々は心的な事実は<用いず>、意味だけを使うことを簡単に示してみよう。しかし…

ブラッドリー『論理学』 3

[「観念」の二つの意味。6-8] §7.観念のこうした二つの用法、シンボルとシンボル化されたもの、イメージとその意味は、もちろん、我々のすべてに知られたものである。しかし、私がこの明らかな区別にこだわる理由は、我々の思考の多くの部分において…