ケネス・バーク

ケネス・バーク『動機の修辞学』 20

. 修辞と原始魔法 カーディナーの引用は「ナヴァホ族の魔法」についてのC・クルックホーンの論文からとられていて、魔法を修辞学の範囲にもたらすような観察が含まれている。実際、魔法がその背後にもつ個人的な富、権力、復讐へと向かう動機は、<部族的な…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 19

.. 修辞の「行き先」(個人の魂) 我々の整理によると、唯一無二の個人は象徴の範囲に収まる。しかし、だからといって、いわゆる「個人心理学」にもそれが当てはまると考えるべきではない。特に、フロイトの神経症患者に対する関心には、修辞的な要素が強く…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 18

.. 率直な同一化と狡猾な同一化 自己欺瞞という考えは、また別の可能性の領野をもたらす。同一化を通じ、修辞的動機が、行為者の意識的な方向づけなしに働きうるような広い領域が存在する。古典的な修辞学は、修辞の明らかな企図を強調した。しかし、修辞学…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 17

.. 科学の二重の可能性 しかし、ここはいくら注意してもしすぎることはない。宗教、政治、経済は、周知のように面倒な問題であり、今日の多くの人間にとって、応用科学の崇拝はそれらを一つにまとめる原動力となっている。このことを明らかにするのは痛みを…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 16

. キリスト教後の科学における「贖罪」 十字架にかけられたキリストの犠牲によって贖罪の観念を形成した文化で、社会化の諸過程が世俗化されてしまったキリスト教後の科学においてなにが生じているのだろうか。犠牲となった王を祀る司祭の必要は徐々に減じて…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 15 

.. 科学の「自律性」 科学は、単なる道具(媒体)としては、場面、行為、行為者、目的の性質を取り、同一化すると思われる。欠陥のある政治構造が人間関係を歪めるのであれば、同様に科学も歪められると予想するのは理にかなったことであろう。教会の擁護者…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 14

. 同一化と「自律」 「自律的な」活動について言えば、修辞的同一化の原則は次のように言うことができる。ある活動が活動主体に本来備わっている自律の原則に還元可能だという事実は、異なった動機づけとの同一化から自由だということを意味しない。そうした…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 13

.. 属性の同一化を目指す性質 形而上学的に言えば、ものはその<属性>によって同一視される。修辞学の領域では、こうした同一視は、しばしばその語の最も物質的な意味における属性、つまり経済的な資産、コールリッジが「宗教的瞑想」において語ったものに…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 12

.. 同一化と「三位一体」 Aは、同僚Bと同じではない。だが、彼らの関心が重なる限りにおいて、AはBと<同一化>する。あるいは、関心が重なっていないときでも、自分でそうだと思い、あるいはそう信じるよう説得されるならBに<同一化する>かもしれな…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 11

.. 同一化 我々は『闘士サムソン』が「利用」したもののなかから、神の敵を殲滅するために自らの身を滅ぼした盲目の巨人への詩人の同一化について考えた。そして、ピューリタンとイスラエル人、王党派とペリシテ人の同一視を認め、そうした同一視はある種の…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 10

.. 額面通りの形象 額面通りにとれば、形象は我々がその本分に従って反応するよう促す。かくして、「成長する」ことに必死な青年は、映画に教えられて、観念的あるいは想像上の大人の世界の最も注目に価する行動として残忍さや殺人の形象について深く考える…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 9

.. 要約 第一に、我々は神に同一化するサムソン、それに同一化するミルトンについて記した。それから、王党派のペリシテ人との、ピューリタンのイスラエル人との同一化がある。次に、そうした同一化を用いた詩を書くことで、現実のミルトンが市民として不満…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 8

.. パーソナリティ・タイプにおける「悲劇」の形 死や悲劇的終幕との関わりにおいて本質を定義することの背後に普遍的に感じられる文法の原則があるとするなら、アンケート調査がある種宗教的な崇拝の対象となっている我々の擬似科学において、「悲劇」の範…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 7

.. 本質との劇的、哲学的関係 能動的、再帰的、受動的な死(殺す、自殺する、殺される)についての形象は、死についての思想が人間の動機づけに基本的なものであるために劇的緊張を高める働きをすることは明らかで、通常はその使用方についてこれ以上考える…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 6

.. 変容のイメージ化 もう一つのやっかいの種を加えることで、事態を明確化できる要素をつけ加えることにもなる。今度は、同じ「歴史の曲線」に属するコールリッジの「宗教的瞑想」からである。 彼の巨大な一族には 無傷のものを傷つけるカインは存在せず(…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 5

.. アーノルドの形象の質 我々がここで言おうとしていることはなんだろうか。「エトナ山のエンペドクレス」と『サムソン』に一段階を差しはさむことで両者がどのように見えてくるかを探ろうとした。サムソンは敵を滅ぼす好戦的行為のなかで自ら死したが、我…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 4

.. マシュー・アーノルドにおける自己犠牲 例として、マシュー・アーノルドの『エトナ山のエンペドクレス』における自己犠牲の形象と比較してみよう。自分を「豊かな少年たちのなかの孤児」だと考え、「我々は、昼も夜も/自分を重荷に感じている」という不…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 3

.. 自殺のモチーフを適正化する もう一つの帰結をここで記そう。サムソンの行為の<自らに返ってくる>性質がくり返り強調されることで(敵を打ち負かす際の自己破壊的な要素)、間接的に自殺を認めるための仕掛けとなり得ている。だが、ミルトンの宗教は自…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 2

修辞の有効範囲 .. ミルトンによるサムソンの「利用」 自由意志論者にして国王への反逆者、盲目で不幸の淵にいる老いた詩人が陰鬱で好戦的な詩句でサムソンを褒め称える。表面的には、彼の詩はペリシテ人のなかにいるサムソンを語っている。繋がれた囚われ人…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 1

【30年以上前、1日のペースづくりとして、2~3ページの翻訳に勤めていた。ときにはそちらに興が移り、それだけで満足し、十分一日の仕事をした気になって、酒を飲み始めるすべてが狂っているような日もあったが、この習慣は15年以上は続いた。以前に…

ケネス・バーク『歴史への姿勢』 91

.. 追記 『恒久性と変化』と『歴史への姿勢』という一組の著作に関して締めくくりの言葉を述べるにあたり、理論的な注釈が物語へと変わることが幾度かあった。今度のこともそうである。ライマン教授は私の質問に対して答えを送ってくれたが、この後記で彼の…

ケネス・バーク『歴史への姿勢』 90

.. 部分的な撤回を伴った追加 私の初期の著作『反対陳述』に収められたエッセイ「心理学と形式」の脚注を論じようと思うが、それは『恒久性と変化』及び『歴史への姿勢』の後記で芸術的個人的とテクノロジー的道具的との区別に関してとった私の姿勢を強く伝…

ケネス・バーク『歴史への姿勢』 89

事態を極端にすることでプロットを動機づける劇中の登場人物については、私は多くのことを語ってきた。『歴史への姿勢』の「中枢用語の辞書」でなされたと<私が>考えていることを示せば充分だろう。私はそれを「受容の喜劇的枠組み」を体現した人間関係の…

ケネス・・バーク『歴史への姿勢』 88

『歴史への姿勢』の喜劇的枠組みに関する企図の多くは、そうした安売り、または叩き売りとさえ言えるもののなかでくつろぐことになろう。しかしまた、不調和な遠近法、「想像的なものの官僚化」を巡って「放射される」この本の「中枢語」とともに、企図にあ…

ケネス・バーク『歴史への姿勢』 87

手術される病院で、「ヘローネがまず最初に印象づけられたのは、自分の置かれた状況の極端な<物質性>だった」。それはプライバシーの侵害から始まっており、「内蔵が拡げられ、忌まわしい管が鼻から胃へと差し込まれ、彼はそれを逃れようとする(「このもっ…

ケネス・バーク『歴史への姿勢』 86

言葉を欠いた自然に叙述をつけ加えることによって、じきに、超自然の物語、占星術の、天文学の、錬金術の、化学の、地質学の、生物学の、地理学の、歴史の、神話の、儀式の、イデオロギーの、日常業務等々の物語が生じ、ゴシップとニュースとが始まった(あ…

ケネス・バーク『歴史への姿勢』 85

こうしたことすべてに絡み合っているのは、『歴史への姿勢』で「想像的なものの官僚化」と呼ばれた物語である。この用語は多様な混乱した発展に適用され、そこにはごく特殊で個人的な姿勢も含まれる。しかし、常に繰り返される物語は、テクノロジーの道具的…

ケネス・バーク『歴史への姿勢』 84

. 後記 『歴史への姿勢』:懐古的眺望 『反対陳述』のヘルメス版で加えた「批評教程」のなかで、『恒久性と変化』の姉妹編であるこの『歴史への姿勢』は、正確に言うと続編ではなく、ある点で、その早い時期における修正だと注釈した。『恒久性と変化』はも…

ケネス・バーク『歴史への姿勢』 83

VII どのように締めくくりをつけたらいいだろうか。動機に関する「職務の」理論が純粋に「個人的な」領域を含んでいるように(その根は子孫をも巻き込んだ<自然な>勤めであり、生まれてから数年間の動物としての人間に刻みつけられる「家族内での」経験…

ケネス・バーク『歴史への姿勢』 82

VI こうした七つの職務、或いは「義務」は、動機づけの観点を含んではいるが、行為へ導く<動機>よりもむしろ<行為>についての名称である。人は、そう「すべき」だと感じるが故に統治することもあり得る。或いは、部下に自分の意志を押しつけたいという…