佐藤春夫「円光」

1914年の短編。ある画家が若く美しい妻をめとり、一家を構えることになった。ある日、見知らぬ人物から手紙を受け取る、どうやら妻が以前付き合っていた男であるらしい。妻に聞いてみると、ええ、知ってる人だわ、愛し愛された人です、だって「あたしは…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈47

縁さまたげのうらみ残りし 芭蕉 従姉妹のために縁を妨げられたことがあり、恨みが残っているという解は受けいれがたい。本来は従姉妹と縁があったものを、親の家が衰え傾いて親類のあいだで疎まれるようになったとか、あるいは他の家より強引に娘をその男に…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』17

悲しみ、汝は憂鬱を呼び起こす情念である。塵よりもつまらないものだが、雲よりも高い。マラリアのように震えるが、氷のようにしっかりしている。心を病にするが、その虚弱を癒しもする。私のなかで最も弱いのは、恥に対する病的なまでの感受性だった。十年…

ブラッドリー『論理学』83

§21.この原理は実際に行なわれる選言に先行している。それはその関係がどんなものかはわからないが、関係の共通地盤があることをあらかじめ言っている。選言は、関係が相反する領域にあるという更に限定された場で生まれる。かくして、我々は一方において…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈46

床更けて語ればいとこなる男 荷兮 前句の「只なきになく」を人が泣いたものと見なしてこのつけ句になる。遊女と旅人が偶然に会い、国なまりの言葉の端から、問いつ問われつしていとこであることを知り、やむない理由で奥州を出たきさらぎの昔はこれこれとい…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』16

最後に、英国教会が墓の所で執り行う荘厳な儀式になった。教会は死者が空中に留まっているまま放っておきはせず、彼らが墓の側に来て「心地よく厳粛な別れ」(1)を告げるまで待つのである。もう一度、最後に棺が開けられた。すべての眼が名前、性別、年齢…

ブラッドリー『論理学』82

§19.排中律は選言の一種である。その性質は次のように調べねばならない。(i)選言は共通の性質を主張する。「bあるいは非b」においてAについて主張される共通の性質はbに対する一般的な関係である。(ii)選言は両立不可能な領域を主張する。bの…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈45

奥のきさらぎを只なきになく 野水 田螺をとって生活しているものが二月の寒さに泣く、という旧解のまずさは言うまでもない。また、実方中将奥州に下ったところ、五月になって民家が菖蒲を葺かないので、尋ねてみると、この地には菖蒲はないという。実方浅香…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』15

私が書いたことの次の日、医者の一団が脳と病気の特殊な性質を調査するために来た。というのも、症状の幾つかの点で困惑させられるほどの異常があったからである。余所者たちが引き上げて一時間後、私は再び部屋に忍んでいった。しかし、扉はいまは閉ざされ…

ブラッドリー『論理学』81

§17.選言判断の性格を思い起こすと、そこには以下のように限定される事実があったことを思いだすことになろう。その性質は(i)ある領域のなかにあり、(ii)その領域には相反したものがあるので、実在はそのどちらかとして決定されねばならない。この…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈44

雨こゆる浅香の田螺ほり植ゑて 杜國 『古今集』巻第十四、「陸奥のあさかの沼の花かつみかつ見る人に恋ひやわたらむ」、読み人知らず。また『著聞集』巻第十九、圓位上人、「かつみ葺く熊野詣のやどりをば菰くろめとぞ言ふべかりける」。『俊頼散木棄歌集』…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』14

ああ、アハシュエロスよ、永遠のユダヤ人(1)。寓話であるのか、そうでないのか、汝こそは終わりのない悲痛に満ちた巡礼に最初に出発したとき、エルサレムの門を飛び立ち、無益にも追いかけてくる呪いから逃げ去ろうとした汝でさえ、姉の部屋から永遠に離…

ブラッドリー『論理学』80

§15.言いたいことはすべて言ったので、喜んで次に移ろう。というのも、我々は少しだけ形而上学に手をつけたに過ぎないのだが、それでも私には、できうる限り論理学の第一原理を明確に維持することができるか不安になっているからである。いまの例で言うと…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈43

桃花を手折る貞徳の富 正平 松永貞徳は洛外に五つの庭園をもっていた。梅園、桃園、芍薬園、柿園、蘆の丸屋である。句の意味は解釈するまでもなく明らかである。前句とのかかりは、前句の悠々自適の様子に応じたまでのことである。貞徳は長頭丸といわれてい…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』13

私の耳がこの巨大な風神の音調を聞き、私の眼が金色の生の充溢、天の壮麗さや花の光輝に満たされたとき、そして姉の顔に広がる冷たさに向き直ったとき、私は忘我の状態に陥った。蒼穹が遙かな青空の天頂で開き、一条の光線が走っているようだった。私の精神…

ブラッドリー『論理学』79

§13.「Aは非Aではない」、「Aはbかつ非bではない」、「Aは同時に存在し存在しないことはできない」といった様々な言い方でなされる公準には、原理の真の問題は含まれていない。というのも、もしAが非Aであるなら、それがAとは矛盾する性質をもっ…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈42

麿が月袖に羯鼓を鳴らすらむ 重五 「麿が月」、麿を所有格として解釈してはならない。深川夜遊の「唐辛子の巻」に、「伏見あたりの古手屋の月」という芭蕉の句があるが、古手屋が月の主ではなく、古手屋のあるところの空に月がかかっているのである。ここも…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』12

私の死についての感情やイメージが、パレスチナやエルサレムと関連して、いかに夏と込み入った連想を伴っているかを示すために脇道にそれたが、姉の寝室へ戻ろう。目の醒めるような日の光から私は死体の方へ向いた。そこにはかわいらしい子供の姿が、天使の…

ブラッドリー『論理学』78

§11.矛盾の原理が事実についての言明なら、それは相反は相反であり、排除し合うものは融和させようとするどんな試みにもかかわらず両立不可能なままだという以上のことは言っていない。また、それを一つの規則として呈示するなら、それが言うのは、「矛盾…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈41

鶉ふけれと車引きけり 荷兮 鶉の啼くのをふけるという。細川幽齋に、いい鶉の値を問うと五十両だといわれたので「立寄りて聞けば鶉のねも高しさても欲にはふけるもの哉」という狂歌がある。ふけるの語の意味、これによって知るべきである。車引きけりは、搢…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』11

ここでしばらく私の精神に多大な影響を残した出来事の想起を中断して、『阿片吸引者』で言及したこと、つまり、他の条件はみな同じであるのに、なぜ死は、少なくとも風景や季節になにがしかの影響を受けるとすれば、一年の他の季節よりも夏にいっそう深く哀…

ブラッドリー『論理学』77

§9.推論の本性を論じるときに、我々は原理の意味をもっと十分見ることになろう。ここでの結論は、あらゆる判断は、それが真であるならば、出来事の流れによって変更されることのない究極的な実在のなんらかの性質を主張している、ということである。ここは…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈40

野菊までたづぬる蝶の羽折れて 芭蕉 句は言葉通りで解する必要もなく、明らかである。ただ、発句は初雪で冬、脇も霜で同じく冬、第三句は野菊で秋だが、美しい園の菊ではなく野菊までといい、蝶も元気ではなく羽が折れているといっているので、前句との写り…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』10

私の先達であり仲間を連れ去った病気について詳細に述べる必要はない。(私の記憶によれば)その時彼女は九歳に近く、私は六歳に近かった。多分年齢や判断力から来る権威が自然に彼女を上位者としていたのだが、それに彼女自身は認めようとしない優しい謙虚…

ブラッドリー『論理学』76

§7.我々は「私は歯が痛い」といった判断が、そうした感覚に訴える形式では本当には真でないことを見た。それらは定言的真理であることに失敗し、ほとんど仮言的真理にも達していない。それを真にするためには、現在の事例を越えるようなつながり、歯痛の諸…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈39

霜にまた見る朝かほの食 杜國 または復であり、まだではない。朝顔の食は、花の酒、露の宿などというようなもので、興のある言葉づかいで、強いて問い詰めるべきではない。朝非常に早く食べる飯ということである。見は朝顔にかかり、食にはかからない。前句…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』9

かくして、その時子供の心についた最初の傷は容易に癒えた。二度目はそうはいかなかった。親愛なる、気高いエリザベス、彼女の豊かな表情、魅力的な顔が闇の中から浮かび出るたびに私はあなたの早熟な知性のきらめきの証拠として光の冠や輝く光背(1)を思う…

ブラッドリー『論理学』75

§5.それが真であれ批判にさらされるものであれ、少なくとも推論の<必須条件>である最も重要な原理がある。それを同一性の原理と名づけるのが最良で、というのもその本質は差異のなかの同一性を強調することだからである。この原理とはどういうものか。そ…

幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈38

初雪の巻 思へども壮年未だ衣振はず 初雪の今年も袴きて帰る 野水 左太沖の詩に「被褐出閶闔、高歩追許由、振衣千仞岡、濯足万里流」とある。被褐懐玉は徳を包み世を避ける意味で、『孔子家語』に出ている。閶闔は洛陽城西門のこと。許由は朝廷に位があった…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』8

しかしながら、私はこのことを急速に知るに至った。私の二人の姉、その時生きていた三人のうちの年上の二人で私よりも年かさである姉たちが年若い死に見まわれたのである。最初に死んだのはジェーンで、私より二歳年上だった。彼女は三歳半、私は一歳半で、…